2016年2月17日水曜日

マインドフルネスに関する5つの誤解(2)

この記事は、WEBメディア“Mindful”内の記事“5 things people get wrong about mindfulness”を和訳したものです。ご自身の瞑想やマインドフルネス活動の参考にしてください。
マインドフルネスに関する5つの誤解(1)はこちら




神話2:瞑想の結果得られるのは、退屈で当たり障りのない、カルト的な平穏さと自己満足である

瞑想の「実践」と、瞑想を実践して得られるであろうと予測される「結果」を混同するのは簡単です。瞑想するとき、私たちは普段よりスローダウンする(動きはほんの少しに、あるいは全くなくなり、思考はだんだん減速していきます)ため、瞑想の実践家たちは皆、行うことが全て、永遠にゆっくりになる、と考えられるのは確かに自然なことです。例えばこんなふうに思われていることがあります―瞑想の実践者は手早く料理を作ったりスプリンターになることはできない。彼らは一度に一つのことを、一度に一つの思考を大事に、スローモーションで行う。航空管制官なら、瞑想のことを忘れることができるだろう。

この神話的な言説によれば、瞑想の実践家は個性も当たり障りもなく、常に恍惚として、もう死んでいるような状態にあるということになります。あまりにも自分自身の思考の中に包み込まれているために、世俗のことを考える時間がないのです。彼らは平和主義者であるだけでなく、受動主義者です。怒りも、欲望も、皮肉やユーモアさえ許されていません。常に、いかなるときも、真面目くさっているのです。

これらの考えは古いステレオタイプですが、しかし全てのステレオタイプと同様に悪質で色あせないものです。そして、このステレオタイプは新しい評論家によって新しい意味付けをされます。最近発売された「良質な」雑誌の冗長なエッセイでは、執筆者は自身の瞑想に費やした多くの年月を嘆いていました。曰く「私はあまりにもスローペースで行動し、そしてヨガや瞑想、自分を恥じる思考を手なずけることに興じる金銭的余裕のある仲間内以外の世界で何かを成し遂げたり、参加することがあまりにも少なかった」。

マインドフル瞑想を勧める人はあなたに思考を「管理」し「監視」する(そのエッセイの執筆者がよく用いた言葉です)ことを要求しーそして、世界では何も成し遂げることなく―物事の焦点を見失うことが往々にしてあります。瞑想の実践の間、なぜスローダウンが必要なのかというと、瞑想をする人が、自分自身の思考がどのように働いているかを見ることができるようにするためです。私たちがよく知っているように、思考には無数のタイプがあります(シャイ、外交的、素早い、のんびり、野心的、内省的…)。そして、それぞれの思考には感情の膨大な組み合わせがあります(悲しみから熱狂、そしてその間にあるいくつもの色合い、その中には説明を拒むいろんな感情の複合体も含まれます)。健全な思考と健全なコミュニティは、多様性に満ち、それを構成する全ての素晴らしいパーツを最大限活用することができます。

瞑想を研究している先進的な機関の1つはまさにそのようにして成り立っています。ウィスコンシン大学マディソン校にある、神経科学者であり感情の専門家であるリッチー・ディヴィッドソンによって設立された健全な精神を研究するセンターでは、この言葉を、幅広い能力のフル活用を可能にする好奇心を呼び覚ますために活用しています。

瞑想は心の健全性を確立させることのできるものです。同一性の退屈の中に我々を落とし込むものではありません。マインドフルネスを実践することで、私たちは自分自身をより自由にし、豊かでユニークな全ての人生の瞬間を味わうことを可能にするのです。
<(3)に続く>


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