2016年1月23日土曜日

マインドフルネスに関する5つの誤解(1)

この記事は、WEBメディア“Mindful”内の記事“5 things people get wrong about mindfulness”を和訳したものです。ご自身の瞑想やマインドフルネス活動の参考にしてください。



現在マインドフルネスは大いに注目を集めています。しかし、マインドフルネスはかたちを変えた宗教なのではないのでしょうか?軍が完璧な殺人者を作るために使用しているのでは?「マインドフル」の編集長バリー・ボイスがこれらの混乱を一刀両断します。

誤解1:マインドフルネスはあなたの悪いところを直す
「私の何がいけないの?」「何で出来ないんだろう?」「これ本当に苦手」「私はいつも駄目だ」「私の心はぐちゃぐちゃ!」「他の人たちは立派にやっているなあ」…瞑想をしたことがある、あるいは何か新しいこと、例えばギターの演奏、スノーボード、親になること等にトライしたことがある人なら皆、これらの考えが脳裏をよぎったことがあるでしょう。

私たちは度々こういう考えを繰り返し、最終的には「私にはこれは向いてない。全然駄目だ。辞めよう!」という結論へ向かう負のスパイラルに陥ってしまいます。これは人間が持つ奇妙な性質です。私たちは自分自身のことを必要以上に責めてしまいがちなのです。私たちは「あなたの/私の問題は…なこと」と言いがちですが、人気のある瞑想の書籍はこの文章を完成させるための形容詞をたくさん提供してくれます。

あなたの/私の問題は…なこと
・気が散りすぎ
・せわしなさすぎ
・ネガティブすぎ
・ぼんやりしすぎ

これらの言葉は、瞑想はきっとこういうものであるはずだという考えを導きます―私たちはきっとこの問題を解決します!頭から思考を一掃し、全く取り乱さないようになり、生きている瞬間すべてが特別なものになる、そんな特別な場所に向かいましょう!私たちはそんな場所を待っていました、さあ、音楽を始めて…、瞑想しましょう。

でも瞑想はそういうものではないのです。

瞑想は決まった目的地に到達するものではありません。それは探索です。私たちは自分自身の心の働き、例えば私たちの感覚(風が肌をなでる、嫌な臭いが部屋の中まで漂ってくる)、私たちの感情(これが好き、あれが嫌い、これが超欲しい、あれは大嫌い)、私たちの思考(象がトランペットを吹いているところを見たらおかしいだろうな)を探索する冒険を始めるのです。

マインドフルネスの実践は私たちの心の中で起きていることにいきいきとした関心を寄せることであり、それはある種の解放です。私たちは心の動きがそんなに謎めいたものではないことを知り、感覚や思考や感情をもっとうまく導くことができると感じるようになります。頭の中の声はだんだんうるさくなくなっていきます。瞑想の効果はすべて、自分の心をより機能的に体験するところから感じられるでしょう。私たちは心で起こることに集中し、それらを導き、そして場合によっては手放すこともできるようになります。もっと自由に、拘束衣を脱いで。

でもこれは修繕ではありません。あなたの心は生来マインドフルネスや気づき、優しさ、そして慈愛の能力を持っています。抜本的に「直す」必要はありません。

もちろん、私たちはときどき、そしてあるときは頻繁につまずいたり、浮ついたり、混乱に動揺したりします。最初に私たちに必要なのは、ささやかな安定です。例えば呼吸などのシンプルなワークをやさしく繰り返し、心の拠り所に立ち返ることで、心の中で何が起こっているかを見るにあたってのよりよい視点と、より多い選択の機会を可能にする安定感が生まれます。自分の呼吸に意識を戻すときのポイントは、これを問題だと捉えないことです。あなたが料理を習うとき、食材に熱を加えすぎたり焦がしたりすることもあるでしょう。でもそのことは、あなたが料理に向いていないということを意味するのではありません。あなたは火力を調節する必要があるということを意味しているのです。
(2)へ続く>




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