2015年8月28日金曜日

「共感」の罠にはまらないために(後半)

※ この記事は、WEBメディア“Mindful”内の記事http://www.mindful.org/how-to-avoid-the-empathy-trap/の後半を和訳したものです。前半の訳はこちらです。ご自身の瞑想やマインドフルネス活動の参考にしてください。


誰かの感情を自分の感情よりも優先させることは、人生経験において重要な一部となるでしょう。ただしそれは継続的にではなく、あくまで一時的なものである場合のことです。うまくいっている大人同士の関係には、共感の流れが相互にあります。パートナー間の関係において、2人は均等に力を持ち合い、お互いが与える側と受け取る側の間を行ったり来たりします。しかし、もしどちらか一方に与える役割が偏ったら、怒りの感情が生まれるでしょう。

ジェンダー(社会的性差)に基づく教育は、共感における不均衡を助長する可能性があります。争うために「立ち上がる」ことを奨励されてきた男性は、過度に支配的になるか、逆に、誰かの強い感情に直面したときには、上位に立つか降参するか以外の反応する方法を知らずに引きこもってしまうかもしれません。一方、多くの女性が、共感すること自体がいかなるときも適切な行為である、と信じるように育てられ、やがて共感は彼女たちが他者へ反応するときの確固たる基本姿勢となっていくのです。共感的な人々への高い評価は、彼らが自分自身の感情を無視しているかもしれない、という事実をあいまいにしています。

力関係が平等でない状況では、共感のやりとりにおいても相手との不均衡を作り出します。ストックホルム症候群のような極端な例で考えてみましょう。ストックホルム症候群は、人質が彼らを捕えた犯人にやがて忠誠心と共感を示すようになる状態をさします。救助の際に、解放された直後の人は犯人の行動への理解を示し、ときには彼らとの関係をこのまま維持したい、彼らに尽くし続けたいという願望さえも示すことがあります。暴力を振るわれた女性や虐待された子どもは、しばしば彼らを虐待する人間との間にストックホルム症候群と同様の感情的な結合を形成します。

残念なことに、力のアンバランスが著しい関係においては、弱い立場の人間が高い立場の人間の要望をより優先させる傾向が強くなります。そのような行為は、彼らにとって関係を維持する助けとなります―でもその分彼らは、自ら人生の決裁権をなくす計画実行者になるという代償を払っているのです。

介護の最中のように、状況によっては、誰かの欲求に集中する必要があります。そのような状況は、人の共感能力に大きな負荷をかけがちです。全ての介護者にとって、彼らと同じように彼らを援助できる人からのサポートを見つけるのは重要なことです。

罠にはまった状態からバランスの取れた状態へ


共感の罠にはまっていないかどうか、どのようにチェックしたらよいのでしょう。以下の質問に1つでも「はい」があったら、危険信号が点滅している状態です。

・自分自身の感情よりもパートナーの感情について考えることに、より多くの時間をさいている

・口論の間、自分の言いたいことを脇に置いて他の人が話す内容に集中している

・自分の好きな誰かが落ち込んだり傷ついたりしているとき、相手の感情が自分のもののように
  感じられ、その感情の渦に巻き込まれたような気持になる

・口論が終わった後も、他の誰かが口論の最中に言ったことに頭がいっぱいになる

・誰かの言動で落ち込んだとき、自分自身の感情よりもその人の事情の方に重点が置かれて
 いないかどうかを考えるより、なぜその人がそんなことをしたのかを解明する方に多く時間を費やす

過度な共感を統制するには、感情的な知性が必要です。その基礎となるスキルは、自己認識です。あなたは、自分自身の欲求を探り、満たすよう常に心がける必要があります。あなたが自分自身の欲求について考えることに慣れていない場合、自分が欲求を持っているということにさえ気づくことができないかもしれません。何かのきっかけで共感が喚起されたら、どんなときでもそれはあなた自身の感情へスポットライトを当てるためのシグナルだととらえてください。少し止まって(深呼吸が役に立ちます)、あなた自身の中にチェックインしてください。「私は今何を感じている?」「私は今、何を欲している?」

自分自身の欲求がわかるようになると、あなたは、他人にどれぐらい与えるか、自分自身のためにどれぐらい要求するかを意識的に決めることができるようになります。もちろん、他者の欲求に対してマインドフルな姿勢を持った人々との関係を育むのにも役立ちます。自分自身の欲求に対してアクションを起こすことは、セルフマネジメントのスキルにもつながります。他の人の激しい感情、とりわけネガティブな感情に巻き込まれそうな自分に気づくことができたら、すばやく適切な距離を取ることができます―必要に応じてその感情から自分自身を隔離することさえできるのです。

共感の高まりによる混乱した感情をマネージするためには、コミュニケーションの方法を変えるのも有効です。例えば、あなたのパートナーが、彼の上司にひどくイラつきながら家に帰ってきたとしましょう。でもあなたは、彼の愚痴に耳を傾けたり、彼の気分を良くしてあげたりするには自分があまりにも疲れ切っていると感じています。そういうときには、今は期待に応えられないということをはっきり伝えましょう。「そのことについてあなたと話したいのはやまやまなんだけど、今夜はやめましょう。私は今日自分のことでくたくたなの。明日ちゃんと話をしない?」

共感性の高い人々は、他者の感情に気づくことが得意です―ですが、他者の感情を正しく解釈することは必ずしも得意ではないのです。彼らはもしかしたら、誰かが特定の感情を持っていることについて、自分で勝手に正しくない物語を作り出すかもしれませんし、彼らの内から湧き出てくる感情にはまり込んでしまうかもしれません。それを避けるために、一旦立ち止まって、あなたの解釈を脇に置き、観察することによって明確にチェックしてからこの言葉を言うことにしましょう。「うわあ、それは本当に重要そうだね。その話もっと聞かせて。」

あなたがいつもと違うふるまいをしていることについて周りの人に理由を聞かれたら、この変化についてオープンに話しましょう。「ときどきあなたの感情にものすごく入り込んでしまって、自分で自分の感情がわからなくなっちゃうの。だからもうちょっとバランスをうまく取れるようトライしてるところなんだ。」他の人の気持ちを傷つけないかと心配しないでください。もしその人があなたに共感を抱いてくれているなら、こういった会話はより親密なつながりをもたらすでしょう。

自分の感情をしっかり把握しながらも同時に愛する誰かを大切にできていることを確認する1つの方法は、過剰な共感を慈悲心に変えることです。友人が心かき乱されているときに、その心の痛みを自分自身のものとして想像する代わりに、一呼吸置き、一歩離れたところから状況を見て、それから言うのです。「それはひどい。あなたのために、何かできることはある?」

感情的な知性は、常に自分自身に共感的であることを要求します。逆説的に聞こえるかもしれませんが、自分自身に共感的であることが、自分が愛する人たちのために存在することをさらに可能にするのです。京都の寺院である三十三間堂からヒントを得ることとしましょう。三十三間堂では、慈悲の心を持った千体の観音が荒々しい二十八部衆によって守られています。古代の人々は、共感や慈悲心や親愛の情は、特別に守る必要があるものだということを知っていたのです。

<おわり>


2015年8月17日月曜日

「共感の罠」にはまらないために(前半)



※ この記事は、WEBメディア“Mindful”内の記事http://www.mindful.org/how-to-avoid-the-empathy-trap/の前半を和訳したものです。ご自身の瞑想やマインドフルネス活動の参考にしてください。



自分自身の感情よりも他の人の感情を優先していませんか?そう質問されて思いあたる方は、もしかすると、「共感の罠」にはまっているかもしれません。

共感(エンパシー)は、確かに素敵なものです。他の人の立場に立って考える能力は非常に価値があり、世界をより優しく、穏やかにする善きものであると考えられています。

国を問わず、どこの学校でも子どもたちには他人に共感することを教えます。また、多くの本が様々な角度から―どのように共感性を身につければよいか、共感性を持つことが自分たちをいかによりよい人間にするか、共感性の欠如がいかに酷い人間を育てるか、といった様々な観点で―子どもたちに共感性を身につけさせる目的で作られます。

共感は、禅宗の僧侶であるティク・ナット・ハン氏や、ウェブサイト「Empathy Museum(エンパシー・ミュージアム)」を立ち上げたイギリスのライターであるローマン・クルズィナック氏など、多くの思想家に重要視されています。霊長類学者のフランス・ドゥ・ヴァールや発達精神科医のダニエル・シーゲルなどの著名な科学者たちは、動物における共感性の根本的なルーツと、人間におけるその本質を探究しています。ビジネスの世界でも、企業と製品を成功に導くものとして共感性は重要視され、その分野ではデザインファームであるIDEOが一歩先を行っています。私たちは、自身の共感性がどの程度あるか自覚するよう強く促され、自分自身、そして子どもたちにどのようにして共感性を育むかをインプットされます。

他人の感情、特に自分にとって近しい人たちの感情にチューニングを合わせることは、自然だし必要なことです。事実、共感し、共感されることは、親密な大人の関係に不可欠です。「他者の経験への共感的理解は、五感と同様に人に与えられたギフトである」と精神分析学者のハインツ・コフートは述べています。自分の話を聞いてほしい、自分のことを知ってほしい、自分のことを深く理解してほしいという願望は決して消えることのないものです。しかし、共感が人間関係における一番の基本姿勢となってしまうと、精神的な健やかさが失われていきます。

同情(シンパシー)は誰かのために自分の感情を動かす行為であるのに対し(「私はあなたが傷ついたことに対して気の毒に思う」)、共感(エンパシー)は誰かとともに自分の感情を動かす行為を含みます(「私はあなたの失望を、あなたと同じように感じる」)。共感は、慈悲心(コンパッション)とも異なります。慈悲心は、共感よりも少し距離を取ったところから他者の苦しみを愛情深く気にかけることで、その思いには対象を助けたいという願望も含まれます。共感には感情でなく思考も伴い、その対象は2人―気にかけている人と、自分自身―となります。

他の人の気持ちになって考えるために、私たちは感情と思考、そして自分自身と他者のバランスをうまく取る必要があります。そうでなければ共感は罠となり、私たちは自分が他人の感情の人質に取られているかのように感じるでしょう。共感のスキルには、自分を犠牲とすることなく、他者の欲求に注意を払うことが求められます。また、共感するには、感情のチューニングを他者から自分へと適切に切り替える器用さが必要となります。注意を払うことが非常に大きな見返りをもたらすことに気づくと、共感は曲芸レベルの鮮やかな行為へと変わります。そのためには、私たちはいつ、そしてどのように他の人の感情から私たち自身を引っ張り出すかを知る必要があります。

他人の感情の状態に気づき、それを分かち合うのは、複雑な内的体験です。それは、他人と自分の感情を区別する能力、他者の立場になって考えるスキル、自分の感情と同様に他人の感情を認識する能力、そしてそれらの感情を調整するためのノウハウなどの自己認識が必要になってきます。

過度に他人に共感する人たちは、自分自身が何を望み、欲しているのかを感じる力を失う可能性があります。彼らは、自身の心からの関心によって決断する能力が弱くなるでしょう。また、自分自身の感情の偏りからくる心身の疲れを感じ、そして、彼らにとって大事な人たちに、自分の最高のものを与えるための内的資源を失うかもしれません。しかも、果てしない共感は、他の人たちに、彼または彼女の主張のためにあなた自身のリアリティを否定させるような、生活への脆弱性を生み出します。例えば、あなたが友人に、最近友達の集まりから除外されていることへの失望を伝えたときに、友人からはこんな返信が来るのです―「あら、あなた気にし過ぎよ。」

習慣的に、自分の欲求よりも他人の感情を優先させている人たちは、しばしば慢性的な不安や初期レベルのうつ病を経験します。彼らは、空虚さや疎外感、あるいは常に他人の視点から状況を見ているような感覚をおぼえると言います。しかし、何が私たちを共感の罠に陥らせるのでしょう。そして、どうやったら抜け出せるのでしょうか?これらに関するいくつかのアイディアがあります。

共感性のルーツ


赤ん坊は、他者へ共感的になる準備をしてこの世界にやってきます。乳児のときには他者の苦痛に呼応して泣き、自分の身体をコントロールできるようになれば、なぐさめやバンドエイドを差し出すなどして、共感を必要とする人たちに応えるようになります。

子どもたちには、共感性の度合いに差があります。これには、遺伝的な要因や共感性に関連するホルモン分泌が関係していると考えられます。例えば、プロゲステロンが共感性を高めるのに対し、テストステロンは共感性に作用しません。ただ、幼少期においては、共感する能力には明確な性差は存在しません。

共感する能力の多くは神経系に組み込まれており、また、特に、自分に対してあたたかく愛情に満ちた両親の感情が向けられることにより学習されます。親のほとんどは、子どもが自分の悲しみを和らげるためにお気に入りのおもちゃを差し出してくれた瞬間を、宝物として大事にするでしょう。しかし皮肉なことに、多くの親が、子どもが2歳半になるころには彼らの優しさに目に向けることをやめ、共感的なふるまいへの評価は頭打ちとなります。親が、もっと成果を志向したふるまいに対して報酬を与えるようになるためです。

しかし、子どもはときに親、あるいは兄弟の目を通してものごとを見るように、例えば、病気の親戚を見舞うために彼らのしたいことを脇に置くように促されます。多くの子どもが「他者のために存在する」ために、自分自身の感情を無視するよう日常的に要求されます。それらの繰り返しは、後々バランスのよい共感の感覚を育むことを難しくするかもしれません。

後半に続く>






訳:北里史絵

2015年8月16日日曜日

ブッダの教えとマインドフルネス③ 「心」を観察する




 先回まではマインドフルネスの確立のために「身体」(第1回)と「感覚」(第2回)を観察することの話をしました。今この瞬間にマインドフルになることになれると、次の段階では「心」そのものにマインドフルネスを向けることができるようになります。

 さて、ここでいう「心」とはわかりやすくするために意識の中に生じている感情、そして思考(認識)と捉えます。マインドフルネスが高まると自ずと、自分の心において生じることにも気づきやすくなるでしょう。PCに例えるならばメモリが増設されたようなイメージでしょうか。

 心の観察の一つ目は「感情」です。ビジネスの文脈においても感情を上手く扱えることの必要性は認識されているところです。とはいえ、感情とはなかなかにやっかいなもので、上手に扱える人は少ないでしょう。だからこそマインドフルネスになることが大切です。感情に意識的になれていないと、いつの間にか大きな感情の波に呑まれたり振り回されたりするものです。感情を適切に扱うには、生じている感情にマインドフルになり客観的に眺めることが必要です。





 練習としては普段のように座り、呼吸や感覚ではなく、自分の中に生じている「感情」に意識を向けてみます。感情を普段から抑圧している人には最初は難しいかもしれませんが、マインドフルネス瞑想を続けると自ずと感情への知覚も高まるでしょう。さぁ、今この瞬間あなたの心にはどのような感情が生じているでしょうか?怒りを見つけるかもしれませんし、悲しみや寂しさ、喜びを見つけるかもしれません。感情は一つというよりも、複数同時に生じることも多いでしょう。それがネガティブなものであれ、ポジティブなものであれ、見つけたら素直にその感情があることを認めてみます。自分が感情を持っていることを認め(実はこの段階ですでに感情に呑まれずに適度な距離ができます)、ただその感情が生じていることを観察しましょう。呼吸や感覚と同じでこれもまた変化する現象にすぎません。感情は認め、客観的に観察できると自ずと浄化されていく傾向にあります。


 心の観察の二つ目は「思考」です。今この瞬間、あなたの心にはどのような思考が生じているでしょうか?マインドフルネス瞑想を始めて驚くことは、自分の心に自動思考(雑念)がたくさん生じていることに気づくことです。私たちが主体的に心をコントロールしているようでいて、以外にも多くの自動思考に影響を受けていたりします。マインドフルネスが高まり、自分の中で生じてくる思考に気づく余裕が出てきたら、その思考をあるがままに観察してみましょう。この時、思考について考えたり、分析したりはしません。思考がまるで水の底から湧いてくる泡のようにやがては水面に出て消えていくのを見守りましょう。必要のない思考や思い込み、ネガティブな思考がまたネガティブな感情を作りだしているサイクルに気づくことができるかもしれません。


 感情や思考がクリアーになることは仕事においても相乗効果を生むとともに、仕事をしながら自分の心が自ずと成長していくというサイクルに入ることも意味するでしょう。

次回は「心のプロセス」、仏教の中では「ダルマ」と言われる自然法則の観察に触れていきます。



松村 憲

2015年8月9日日曜日

【TAOサバイバル】 90年代の小室ブームを東洋思想で解き明かす


先日久しぶりに、小室哲哉をテレビでみた。
小室ブームは1990年代後半すごかった。
いまは、その残骸しかないが…

ブーム・流行とはなんだろうか?

Wikipediaには、以下のように書いてある。




1994年のTMN終了前後から、観月ありさ、篠原涼子、trf、hitomi、内田有紀、H Jungle with t、dos、globe、華原朋美、安室奈美恵など、多数の作詞、作曲、編曲と音楽プロデュースを兼任して行った。 
1994年から1999年の間に数々のミリオンセラーやヒット曲を打ち立て、各メディアにおいて「小室ファミリー」、「小室サウンド」、「小室系」といった名称でカテゴライズされる少年時代からの夢だった小室ブームという社会現象を起こした。ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)の丸山茂雄が小室のプロデューサー活動を支援するためにアンティノスレコードを設立し、マネジメント業務もアンティノスマネジメント(現:ブルーワンミュージック)に移管した。 
1995年から4年連続でプロデュースした曲が日本レコード大賞を受賞‬。この年にマネジメント業務をエイベックス子会社のプライムディレクション(現:エイベックス・ライヴ・クリエイティヴ)が設置した「TKルーム」に移管した。‬‬
1996年4月15日にはオリコンシングルチャートにおいてプロデュース曲がトップ5を独占した‪


@Wikipedia


皆さんは、流行をどうお考えだろうか?

流行と言えば、ヒットソング、女性のファッション、流行語がすぐに思い浮かぶと思う。

流行にTAOの法則があるといったら、どうだろうか?

流行とは、センスのいいデザイナーやセレブな有名人が創りだすものと思ってはいないだろうか?

確かに、1回や2回はインスピレーションや運によってヒットを生み出すかもしれない(それもすごいことだけれども…) しかし、ビジネスベースに乗った瞬間に多くの人を巻き込み、その人たちの生活費を稼ぐビジネスになる。
今日は、気が乗らないとか、イメージがわかないとか言っていられなくなる。


そのとき、デザイナーや有名人の関心事は何か?
如何にお客様(お金を払ってくれる人)が次に求めているのは何か?を読み取れることだ。TVプロデューサーであれ、JPOPアーティストであれ、企業の商品開発の担当者であれ、考えることはズバリ


‘何が受けるのか?の一言である。


では どうやって、流行を見抜くか?
その答えは、3つある。


陰陽の
—循環(先取り)論
—補完中和論
—極陽極陰論


循環論は、まさに春夏秋冬のごとく循環する季節の先どりのことをいう。

春の次は夏、夏の次は秋、秋の次は冬、冬の次は春といった先取りをいう
お洒落というものは先取りが基本であるから、春の後半に洒落っ気のあるひとは、半袖、薄着、白、青、と夏を連想させるものを着る。


補完中和論とは、色で言えば、黒に対して白、黄色に対して青紫と補完する色である。
これを補色と言ったりもする。
夏に冷たい物を食べる、冬に鍋を食べる、これも補完中和だ
こうやって、人間はバランスを取っていく


陰陽の極陽極陰論とは、老子のいう陰極まりて陽になる。
陽極まりて陰になるということだ。今年のように猛暑の時、生ビールもよいが激辛のもつ鍋を食べて、ガーッと汗をかいて涼しくなる。まさに、陽極まりて陰となる だ。
最近は、CDがインターネットの配信やYouTubeの為に売れなくなり、アーティストがLIVE活動を主力にしているが、夏のフェスもまさにそのたぐいだ。


小室哲哉の話から始まったこのブログだが、なぜ、彼が1995年から1998年頃までブームをおこしたのか?
浜崎あゆみ一人ならわかる。
ほとんどパターン化されたメロディ、複数の女性アーティストとダンス、カタルシスを求めるような女性の甲高い叫びを きっと時代が求めていたんだろうと思う。

1995年から98年はどんな時代だったのかをみると:

1995年:阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、Windows95発売
1996年:橋本内閣発足、アムラー、援助交際
1997年:酒鬼薔薇事件、東電OL事件、消費税導入、北海道拓殖銀行破綻、山一証券自主廃業、失楽園、もののけ姫、プリウス発売
1998年:長野オリンピック、金融ビックバン、
1999年:日銀ゼロ金利、アジア金融危機、AIBO発売、ドコモImode開始ガングロブーム


30代半ば以降の方なら、これだけであの重苦しい時代のことを思い出すのではないか?

この時代はまさに冬の時代、昭和天皇崩御、バブル崩壊から続く日本のエネルギーの減少(四季でいうならば、晩秋から冬にかけての季節だ)

※蛇足だが、私は国家は60年周期で回る考えている。この時代は晩秋から冬への時代で大きく人々の気持ちが、実りの秋から迫りくる冬の時代のへの中で変わってきた時代と言える。(陰陽60年周期はまたの機会に書くことにする)


この時代、大きく分けて、3つの人(気持ち)が存在した。

①迫りくる冬の時代の準備とその不安(循環(先取り)論
②楽しかった夏、実りの秋が忘れられず、減少するエネルギーをなんとか補填しようとする人々(補完中和論)
③冬の時代にどっぷりつかり、陰のエネルギーを持つスピリチュアル、さらに超人的な救世主を求めたり、猟奇的反社会的行為に共感する人々(極陽極陰論)



さて、小室哲哉に話を戻そう。


ヒットとは何か?

ヒットを出すためには、多くの人がお金を出して買わなくてはならない。
音楽であれば、世代的には、10代から20代がメインであろう。
この世代の人間は、中年以降の人間に比べ相対的にエネルギーが溢れている
(最近はそうでもない若者も多いと聞くが・・・)

そうしたら、おそらく②の選択を無意識に求める人が多数いても不思議ではない。
小室現象は、陰陽の補完中和だったのである。(その中でアムラー、ガングロ現象もうまれた)
ちなみにプリウスは、出口の見えない不況の世相の中で、幅い広い層(多くの国民)の節約(消費税も導入され)による陰陽の循環先取りだったのである。

③の選択者は、おそらく人生の先も見えてきている中高年、エリートコースをきたもの出口の見えない世相のなかで、スピリチュアルや情死と言ったものに憧れたのであろう。実際、当時の企業の役員会の話題は渡辺淳一氏の失楽園の連載の話が多かった。

長々と書いてきたが、流行とは、その名のとおり、氣が流れて行くところを探ることだ。
小室哲哉は、次第に暗くなっていく冬の時とそれに逆らい時間を逆にしようとする若者の気持ちの交錯したものだったのであろう。


小室哲哉自身が決して陽性のタイプでないところが面白い。

TAOは森羅万象を解き明かす。

これから、猛暑をさけて山のほうに行こうと思う。


・・・

TAOサバイバルのバックナンバーはこちら:




2015年8月6日木曜日

「仕事とマインドフルネス 〜 経営者は、どう瞑想をビジネスに活かしている か 〜」第1回

現在、日本でもマインドフルネスへの関心が高まり、ビジネスシーンにマインドフルネスの概念を取り入れる動きが少しずつ始まっています。いち早くマインドフルネスを取り入れているビジネスリーダー達は、どのように瞑想など日々の実践を行っているのでしょうか。また実践により起こった変化は?「いま、ここ。」の運営者である小島美佳がビジネスリーダーにインタビューします。

1回は、医療サービス系企業で常務を務める高橋さんにお話をお聞きしました。

瞑想を始めたきっかけ

小島:はじめに、瞑想を始めたきっかけをお話してください。
高橋:何かちょっと照れくさいですね(笑)。最初は、小島さんが開催するセミナーに出席したのがきっかけだったのですが、そもそもマインドフルネスに関心を持ったのは、昨年ハーバード・ビジネス・レビューで、エレン・ランガーさん(ハーバード大学の心理学の教授)の論文記事[※1]を読んだときです。「周りに起きているできごと、周りの人に関心を持つのが重要」と、確かそんなようなことが書いてあった。それを読んだ後に、ちょうどバランスト・グロース[※2]さんのメルマガを見ていて「あ、マインドフルネスセミナーというのをやるんだ」と知って。それでちょっと行ってみた、というのが最初のきっかけだったと思います。
小島:なるほど。
高橋:ただ、ずっとさかのぼってみると、うちの会社の経営塾をやってもらったときにも瞑想を取り入れていましたよね。
小島:ああ、ビジュアライゼーション[※3]。入れました。部屋を暗くして。
高橋:そうそう、あのときは何のことだかよくわからなかったんだけど(笑)
小島:そうだそうだ、やりましたね。
高橋:振り返ってみれば、瞑想というのはそのときが初めてだったんだろうなと思うんです。
小島:なるほど。へえ、面白い。
  ※1ハーバード・ビジネス・レビュー20149月号 
   エレン・ランガー「一瞬一瞬を大切にすれば結果は変わる いまマインドフルネスが注目される理由」
   小島がマネージング・パートナーを務める、組織文化の醸成を得意とするコンサルタント企業
  ※3ビジュアライゼーション:
   頭の中で自分のありたい姿や望ましい状況をできるだけ具体的に思い浮かべる、瞑想法の1


どのような瞑想から始めたか

小島:セミナーのあと定期的に、ときどきご自身でやっていることはありますか。
高橋:セミナーに参加した後は、「うん、食べ物をひとつひとつ噛んで食べるとよくわかる!」という感じだったんだけど(笑)
小島:ああ、思い出した。いつもソースをかけすぎているのに気づいたというお話をされていましたね。
高橋:そうそう。
小島:なるほど。
高橋:だけども、それを毎回食事のときにやっていたら、いくら時間があっても足りないと思って。
小島:たしかに。
高橋:なので、今食べるときはあまりそのようにはやらないんだけども。でも、毎日お風呂に入るとき、泡がぶくぶく立つタイプの入浴剤があるじゃないですか、あれを入れてお風呂に入るのが好きなんです。
小島:ええ。
高橋:で、あれを入れてからちょうど溶けてなくなるまで3分ぐらいかかるんですよ。
小島:ああ、なるほど。
高橋:それをポンと入れてプチプチ泡が立つ中で、鼻から息を吸って心を鎮めるという、それをだいたい毎日はやっています。そういうのを瞑想とは言わないのかもしれないけれども、毎日自分の中ではそれをやっていますね。
小島:でも泡のプチプチした音とか聞こえてきて、リラックスにはかなりつながりそうですね。
高橋:そうですね。元々お風呂とか銭湯が好きで、泡の出る入浴剤も使っていたんですが、今はその小さい泡の背中にあたる心地よさとか、大きい泡があたると「おお、ちょっと違うぞ」と、そういうところに気が付くようになったりして。
小島:(笑)なるほど。何かいい感じですね。
高橋:他にも「足の先までジワーッとくるなあ」、みたいな感覚を味わうようになって、それはちょっとした変化かなと思いますね。
小島:なるほど。
高橋:そういうふうに自分なりの体感が増した、というのはあると思います。


 一緒に写っている絵の風景について
「こんな穏やかな海もいいけど、時に波もなければ、時には嵐もなければ、
楽しくないなあ、と感じられるようになりました」と高橋さん



始めたころに感じたことや変化

小島:では、始めたころに感じたことや変化というところでいうと、気づく量が増えるというか、アンテナが増えた、みたいな感じなんですかね。
高橋:そうですね。アンテナも増えたっていうこともあります。ただ、もともと私は人に無関心な人間だったので。
小島:あら、そうなんですね。
高橋:そうです(笑)。みんなでいるよりも1人でいる方が、気が楽というところがずっと昔からあったので。あまり人に関心を払わないし、注意も払わない。だから昔は、「自分勝手な人だね」と人から言われたりもして。
小島:そうですか。
高橋:妻にも「自分勝手だね」みたいなことはよく言われるんですけど。
小島:へえ、意外。
高橋:でも、こうやって振り返ってみると、小島さんや松田さん[※4]たちとの出会いが自分を変えてくれたと思います。
小島:ええ。
高橋:以前だったら人が何と言おうと「これが正しいんだから、これをやれよ」という感じだったんですけど、最近は、やっぱり人と向き合うことは必要なんだな、ということを思っていて。
小島:なるほど。
高橋:だいぶ人に関心を持つようになりましたね。例えばお客様とのトラブルがあったときに、不安でしょうがない自分に気がつくと、その不安は何なんだろう、というところを結構冷静に考えられるようになってきて。「自分の不安と相手の不安って同じところにあるんだな」と思うと、結構解決の糸口が見えてきたりするようになってきました。
小島:なるほど。ちょっとひと呼吸おいて客観視できるという感じですかね。
高橋:そうですね。
   ※4松田さん:バランスト・グロースの代表パートナーである松田栄一


言い過ぎている自分に気づき、そのことに気づいた自分に気づく

高橋:この前、2か月間の出張に部下の女性と一緒に行ったんです。
小島:ええ。
高橋:基本私もずっと出張先の現場に滞在することになっているのですが、午後に出張先の別の場所で講師をする予定があり、午前中に現場に入っても12時間しかいられないから今日は現場へは行けません、という日があったんです。で、そのときに、たぶん彼女は「ちょっとひと休みできるかな、午前中は」と思っていた、と思うんですよ。
小島:なるほど。
高橋:振り返ってみればね。でも、私はそんなことお構いなしに「午前中これをやってほしいんだよ、あとあそこに行って」というようなことを平気で言っていた。
小島:ああ。
高橋:でも、「あれはちょっと言い過ぎた」ってことに気がついた。同時にそのことに気がついている自分にも気がついた。今までだったらそんなことには気がつかなかったのですが。それで「ああ、なんかちょっと悪いことしちゃったな」と思って、あとでメールで「ごめんね」と謝ったりして。今までは「仕事だからやれよ、やって当たり前だよ」というところがあったと思うんですけど、実はそういうところで関係性を崩していっていたんだろうな、と思います。そういう相手に対しての心遣いとか、昔そんなことは全然できなかったのに、今はできている、というところに気がつきました。
小島:なるほど。
高橋:でも、当たり前といえば当たり前なのかもしれないですけどね。
小島:やはり意識が2つ同時に存在している感じだと思うので、そこでバランスをうまく取っていくというか。たぶん、こういう局面ではどちらかにしか振れないという、人の癖みたいなものってあるのかな、と思います。難しい局面になると、「人のためにどうしたらいいかなあ」という方向にしかアンテナを持っていかない人もいれば、「いやいや、早く突破しようよ」という方向になってしまう人もいて。話を聞いていて、もう1つ今までになかったアンテナを手に入れて、両方が同時並行で走っているような感覚を受けました。
高橋:そうですね。今までは自分中心でしかものを考えなかったんだけど、仕事でもプライベートでも常に誰かと関係を持って前に進んでいかなければならないことに気がついて、だいぶ変わったかな、と思います。ただこれは自分で瞑想したからというだけではなく、そのあたりの気づきを起こしてくれたのは小島さんであり松田さんであり、これまでの合宿などを通じて、という部分も結構あるのかな、とは思います。
小島:なるほど、そうですか。でも改めて、「合宿で何をやっていたんですか」と聞かれると答えにくいなあ。
高橋:(笑)
小島:何をやっていたんだっけ、という感じなんですけど。
高橋:私は、結局は自分を振り返って自分を見つめて、でも相手も見つめる、その繰り返しなのかなと思っています。どのセッションを通じてもそこがベースにあるのかなあ、と。
小島:そうですね。自分と他人の理解を少しずつ深めていく、といった感じですね。


瞑想を続けていて、今の感じは

小島:瞑想を続けていて、今はどんな感じですか。先ほどだいぶお答えいただいた気もしますが。
高橋:そうですね。ただ、もっと深く知りたいという気持ちもあります。
小島:へえ。
高橋:深く知りたいというか、深めたいというか。13分の瞑想でいいのかどうかもわからないし。この前マツケン(松村憲)さんに、「歩く瞑想もいいですよ」、と、アドバイスをいただいて。会社でやってみたら、「いいな」という気もしましたね。
小島:なるほど。そうか、深めていきたくなるんですね。
高橋:あと、面白いのが、お寺に関心を持つようになった(笑)。
小島:なるほど、たしかに!わかります(笑)
高橋:よくわからないけど、静寂さとかそういったものがお寺の中にはあって、それはなんかいい感じだな、と。自分の心が豊かになるというか、落ち着くというか。そんな感じが少ししていますね。
小島:へえ。
高橋:なので、ちょこちょこ、こう、つまみながらやっているかんじですね。
小島:はい。でも、無理がない感じでとてもよさそう。お寺は、確かに私も急に、なんとなく思い出します。お寺や神社に結構行くようになったような気がします。
高橋:神様仏様にすがりたいっていう気持ちも結構あるんですけどね(笑)最後は神頼み、仏様頼み、という。


純粋な思いの力

小島:少し話がそれるんですが、この間4歳の姪が、私の家に、父母のつきそいなしに1人で1泊しにくる、ということがあったんです。その夜お風呂から上がったときに、姪に「庭にある朝顔、明日咲くかなあ」と聞かれて、「咲くように神様にお願いしてみたら」と言うと、姪はすごい勢いで手をすり合わせ始めて。
高橋:(笑)
小島:仏教系の幼稚園に行っているのですけど、ああいうところってお釈迦様のことを「のの様」って呼ぶんですよね。「のの様おはようございます」、とあいさつする習慣もあるみたいで、すごい勢いで手をこすり合わせながら真剣に「神様、のの様、朝顔が咲きますように」ってお祈りしていたんです。それで、普段は毎朝1輪ぐらいしか咲かない朝顔なんですけど、次の日朝7時ぐらいに姪がガバッと起きて庭の方に走っていって、見たら、3輪咲いていたんですよ。
高橋:おお。
小島:やっぱりこういう純粋な思いって届くんだな、すごいなあと思って。で、彼女が帰った翌朝は1輪も咲かなかった。
高橋:(笑)
小島:朝顔も子どもの思いに応えるためにだいぶがんばったんだね、と。
高橋:(笑)
小島:面白い!と思って。
高橋:通じるものがあったんですね、きっと。
小島:そうですね、神頼みって結構大事だな、純粋に思うと結構叶うんだな、と改めて思っちゃいました。


出張先での過ごし方

小島:では、どれくらい瞑想していますか、というと、毎日お風呂で3分というサイクルができている、という感じですよね。
高橋:できているけど、出張先ではだめですね。自分の家の風呂でないとだめです、なんとなく。
小島:ああ、わかります。
高橋:先月軽井沢に行ってからずっと出張続きなので、あまりお風呂でリセットできていない。
小島:やはり環境が変わって、いつもとちょっと種類が違うエネルギーを受け取っているときは、普段のサイクルを保ちづらいというのがあるのかもしれませんね。
高橋:そうですね。
小島:なるほど。これは1つ課題になりそうだなと思いました。私も出張先のときって、なんとなく仕事モードから完全にオフにすることが難しくなるような気がします。
高橋:でも小島さんって毎日出張じゃないの(笑)
小島:いえ、そういうときとそうじゃないときがあるんです。
高橋:ああ。
小島:特に「これは勝負だ」というときはずっと戦闘モードで、何というかアクセルをやんわり踏んじゃっている状態で寝てしまっている気がします。
高橋:そうですよね。今日も4時に目が覚めちゃって、ものすごい気になることがあって、そんな早朝にメール打ったりして。「朝にメールするのはよくないからみんな真似しないでね。俺たまたま起きちゃっただけだから」って(笑)。
小島:なるほど。
高橋:家では、いくら考えていても、絶対そんな時間に目は覚めないですよ。だからずっと仕事モードかもしれない。今話していて気がついたんですけど、「どうせ出張先って寝るだけじゃん、寝られればいいや」と思っていたんですが、ある程度ゆったりした部屋を取るのも重要かな、と思いました。
小島:たしかに。
高橋:(笑)
小島:あとちょっと周りに緑があるとか、散歩できる場所とか。
高橋:もう、完全に殺風景だから。
小島:効率重視で。
高橋:どうせ出張行っても部屋帰って誰かと飲んで寝るだけだし、別にそんなにこだわらなくてもいいや、と思っていたんですけど。でも少しゆったりできるホテルに行くのもいいかな、と。
小島:人によるのかもしれないですけどね。朝ごはんは絶対ゆっくり食べることにしているっていう人とかもいますし。そうですね、私も出張のときは、まだちゃんと工夫できてないという感じがしてきました。
高橋:こんなグローバルな方が。
小島:(笑)きっと、どんどん知らないうちにオートパイロットで戦闘モードに入っていってしまうんでしょうね。「この人、出張に来ているときに送ってくるメールは嫌だな」とか思われていたりするかもしれない。
高橋:そうですね。
小島:相手が、メールと一緒に少し空気の違う感じを受け取っている可能性はありますね。
高橋:私も思いました。「どうせ出張に行ってまた早く起きて、仕事のことが心配でたまらなくてメールを送ってきているんだな、この人」みたいに思われているのかもしれない。
小島:(笑)


自分の状態を観察する

高橋:以前うちの会社で週末にワークショップをやっていただいたときに、小島さんから「静と動」みたいな1枚のペーパーをいただきましたよね、「森を見るとき、木を見るとき」みたいな。
小島:なるほど、はい。
高橋:あの紙を会社の机の前に置いていて、「今自分はどっちかな」と見たりしているんです。
小島:へえ。ちゃんと自分の状態をチェックしているんですね。定期的に自分の熱を測るみたいな感じですかね。私、そんなことしてない。
高橋:(笑)でも、自分でできているんじゃないですか、それを用いなくても。
小島:どうなんでしょう。私の場合は家が遠いので、電車に乗っていることがすごく多くて、電車に乗っているときはほとんどの時間を瞑想に費やしています。でもやっぱりスイッチが大きく入っているときには、30分ぐらい瞑想していても完全にスイッチをオフにできないこともあったりする。あと、寝落ちしちゃうんですよ、やっている間に。
高橋:ああ、はいはい。
小島:もう駄目なときは寝落ちして、寝ることによってリセットしているというのもあるのかな、と思います。
高橋:なるほど。
小島:いろんなレポートなどを見ると、寝るのと瞑想が大体似たような効果があるって書いてあるので。
高橋:そうなんですか。
小島:昼寝のようなものだ、と(笑)。
高橋:でも、確かに「寝てしまうこともありますけど、寝るなら寝るでかまいません」というようなことを前に小島さんも言っていたし。
小島:そうですね。寝ることによってもう体が諦めてリセット、という感じなのかもしれないなと思います。


これから瞑想を始める人へのアドバイス

小島:では、最後の質問で、これから瞑想を始める人へのアドバイスをお願いします。
高橋:うーん。何でしょうね、瞑想はやってみると意外に気持ちいいものですよ、とお伝えしたいですね。私がしていた勘違いで、瞑想というのは心が無になることだ、と思っていたんですけど。
小島:ああ。
高橋:マツケンさんに「別にそんなことはあまり思わなくてもよくて、今自分が思っていることに気がつくこと、それでいいんです」と教えてもらったので、「ああ、別に無になる必要はないんだ。ありのままの自分を見つめればいいのか」と。そんなふうに解釈したら、瞑想ってそんなに難しくもないし楽しいんだな、と考えが変わりました。なので、みなさんちょっとやってみたら、と。そんな感じですかね。アドバイスにはなってないかもしれない(笑)
小島:でも確かに、みなさんすごく「無にしよう」とがんばる傾向があるかもしれないですね。
高橋:ね。そういうものだっていうイメージがありますもん。
小島:何かの瞑想の誘導で「川の流れを見ているような感覚になってください」というフレーズがあって、なるほどな、と思ったんですよね。自分自身の中で起こっているできごとが、川の流れでだんだん向こう側に流れていくのをイメージして、自分自身が川の中に入らないように意識する、というような。それは「ああ、なるほど」と思ったことがあります。
高橋:なので、難しくないので、あまり難しく考えずにちょろっとやってみたら、みたいな感じですね。
小島:無理のない取り入れ方で。


ジョギングとマインドフルネス

高橋:あと、これは瞑想のアドバイスではないのだけど。
小島:はい。
高橋:去年の9月ごろからジョギングを始めたんです。冬はスキーに行くからジョギングはしないで、花粉のシーズンも苦しいから休みにして、今年の5月からまた再開しているんですけど。
小島:へえ。
高橋:これがまたいいんですよ、自分の心とひたすら向き合う感じで(笑)
小島:なるほどー。え、どんなふうに?「今すごく苦しくてやめたいんだけど」みたいな。
高橋:(笑)そういうのもあるし、ふと「あ、今何も考えずに走れたな」、ってところに気づいたりして。
小島:ああ、そうか。
高橋:あるいは、川沿いを走るんですけどね、うちの方は田舎だから結構緑が豊かなんです。「この緑と川と、空の色がすごくきれいだな」と感じたり。そんなところでもマインドフルネスみたいなことを体感している。
小島:なるほど。
高橋:あとは、どうしても会社のことや仕事のことを思ったりもするんだけど、「それだけそのことが気になっているんだな」、とかね。
小島:はいはい。すごくマインドフルネスですね。
高橋:そうそう(笑)
小島:へえ。すごい。
高橋:週末はジョギングしないと心がリセットできない、みたいな感じがしちゃう。でもだんだんそれが義務感にもなってくるの。「走らねば」、みたいな。
小島:(笑)なるほど。そしてまた義務感にスイッチが入っている自分にまた気づくと。
高橋:そうそう。
小島:(笑)面白い。そうか、でも、わかるな。「絶対休みたくない!」みたいな不思議な感覚ってありますよね。
高橋:そうそう。
<おわり>

記:北里史絵