2015年12月26日土曜日

嫌なやつにマインドフルに接する方法

この記事は、WEBメディア“Mindful”内の記事“How to Mindfully Deal With Jerks”を和訳したものです。ご自身の瞑想やマインドフルネス活動の参考にしてください。


気難しい人々と接するときに、この親愛のエクササイズを試してみてください。それで気づいたことを観察してみましょう。




気難しい人たちと働くときに私が実践してきた、シンプルで、しかし非常にインパクトの強いエクササイズがあります。それはバランス感覚と「今ここ」の視点をもたらす、私にとっては鮮烈な方法です。

私は車の交通量が極めて多いことで知られるロサンゼルスに住んでいます。もし私たちがLAの平均的なドライバーの頭の中を覗き込むことができたら、私たちは過活動状態の扁桃体や、大量の血が前頭前皮質から出ていくのを見ることができるでしょう。言い換えると、LAのドライバーは感情的で高いストレスにさらされている気難しい人々の大集団なのです。

ある日、LAで車の運転をしているときに、私はスポーツカーに自分の前を遮られました。そのスポーツカーは、随分スピードを出し、車線を頻繁に変更しているようでした。私はといえば、歯を食いしばり、肩をこわばらせ、頭の中では高酸素療法の妥当性についてばかり考えていました。

でもその瞬間、私はいかに自分がピリピリしていて、そしていかにそのスポーツカーのドライバーが自制心を失った状態に近づいているかに気づきました。この発見は、私にそのとき路上にあったすべての車のこと、そしていかに大勢の人々が彼らの車の中でピリピリしているかを考えさせるものでした。このシンプルな発見が重要なことをひらめくきっかけとなったのです。

私の肩は幾分下がり、代わりに疑問が湧き上がってきました。「今この瞬間、私に本当に必要なのは何だろう?」
「安心感(ease)」という言葉が心の中に浮かびました。
なので、私はこう唱えたのです。
・「私は安心してもいい…」(私へ向けて)
・「あなたは安心してもいい…」(自制心を失ったスポーツカーのドライバーへ向けて)
・「私たちはみんな安心してもいい…」(路上のすべてのドライバーへ向けて)
このシンプルな3つのパートからなるエクササイズは30秒もかからない上に、私が遭遇したこのできごとを分離と怒りの経験からつながりとバランスの経験へと素早く変容させました。

私にとって幸せとは、何が私のところにやってきてもOKな状態でいられるような、確固たる内側の感覚を持っていることです。この実践は私にその感覚を与えてくれました。このエクササイズで私は、他のドライバーをただ路上にいる厄介者(言い換えれば物)として見る視点を超越し、代わりに人として見る視点を得ました。そして、これは私が本当にOKだと思える経験となりました。


運転中に実験しなくてもいいので、気難しい人々と接するときにこの親愛のエクササイズを試し、それによって起こる心境の変化を観察してみることを強くお勧めします。
<おわり>


2015年12月23日水曜日

日本人の幸福観向上を狙うには






筆者は2013年夏から都合2年間フィリピンに在住していました(最初の8ヶ月はセブ島,後半1年半は首都マニラです)。筆者の元々の専門は,メンタルヘルス(うつ)やモチベーションなどポジティブとネガティブの間で揺れ動く感情のため,グローバル人材の育成や,日系企業の人事管理で滞在していたフィリピンでもフィリピン人の根明で人懐っこい国民性,そして収入があまり高くなくても,場合によっては仕事がなくても笑顔で幸せそうに見える様を日本人との対比で興味深く見ていました。フィリピンでは鬱や自殺という話を聞きませんので。

近年,ポジティブ心理学の発展で,幸福観の研究も先進国を中心に多くされるようになってきています(前野, 2013)。日本はというと,国際比較の中ではそれなりの幸福度のスコアを出していますが,失業率の問題もなく一人当たりGDPも高い先進国よりは低く,幾つかの一人当たりGDPが低い国よりもスコアが低くなっています。そして,現状の経済生活には不満を持つ人も多いようです(前野,同上)

世界3位の経済大国ですが,1990年以降,失われた10年など経済においては暗い話題が続いており,そんな中,経済的には発展していない,しかし,笑顔が弾ける国民性のフィリピン人のエッセンスを少しでも明らかにし,なんらか日本人あるいは世界の人々の役に立てないかというのが本稿の目的で,企画意図です。

単純に比較して,日本とフィリピンの違いで幸福観の違いに影響しそうな要素を列挙します。個人の人格や価値観に影響を与える要素として,例えば,カソリックがメインの宗教(一部イスラムもあり。日曜に教会に行き,懺悔するとその週の反省すべきことは水に流されるという文化。),南国(暖かいので家がなく,路上で寝ていても死なない,自生のマンゴーを取って食べていれば餓死しない),家族主義(カソリックの影響?仕事がなくても大家族の誰かが食べさせてくれる)等々。

反省を重んじる儒教仏教文化で寒さの厳しい地方もあり,核家族化が進んでいる日本とは違う要素はいくらでもありそうです。

一体,どこに核となる違いがあるのでしょうか?そして,それは何か後天的にでも習得できる要素なのでしょうか?

8月下旬に,フィリピンを含めた東南アジアに予備調査に行ってきましたので,その中で気づいたこと,明らかになったことを次回以降報告していきたいと思います。


2015年12月19日土曜日

心の平静さ(後半)

この記事はEquanimity (adapted from a talk by Gil Fronsdal,May 29th 2004)の後半を訳したものです。(前半はこちら)ご自身の瞑想やマインドフルネス活動の参考にしてください。



平静さの3つ目のサポートとなるのは、十分に育まれた心です。私たちはジムで身体的な強さ、バランス、安定性を鍛えますが、それと同様に内面的な強さ、バランス、安定性も育むことができるのです。これは、穏やかさ、集中力、そしてマインドフルネスの感覚を養う練習により可能となります。心が穏やかなとき、私たちはより世間の風に吹き飛ばされにくくなります。

4つ目のサポートは健やかさの感覚です。健やかさの感覚を放っておくことはありません。仏教では、健やかさの感覚を育み伸ばすのは適切で役に立つ行いだとされてきました。私たちは、日々の生活で簡単に得られる健やかさの感覚を見落としがちです。日常生活の中でお茶をゆっくり飲む、あるいは夕焼けを眺めるといった時間を取ることでも健やかさの感覚を学ぶことはできるのです。

平穏さの5つ目のサポートとなるものは、理解や知恵です。知恵は、どのようなことが起きても思考や感情の委縮や抵抗なくあるために、心を開いて受けとめる感覚を学ぶのに重要な要素です。知恵は私たちに人々の存在と行動を切り離して見ることを教えます。私たちは彼らの行動に賛成でも反対でも、彼らとの関係においてバランスを保つことができるのです。同時に、私たち自身の考えや欲求が私たちの個性に関係ない、コンディションによるものだということを理解することもできます。思考や欲求をそんなに自分固有のものだと捉えないようにすることで、それらが湧きあがってきたときにももっと楽な気持ちでいることができるでしょう。

平静さを支えるための別の知恵の使い方は、他人の苦難に直面したときにも心に平静さを見出す助けとなる、人は自身の決定に自身で責任を持っているということへの理解です。私たちは、彼らの幸運を祈りつつ、自分が彼らの幸せの責任を負っているという間違った感覚により生じる苦悩を避けてもよいのです。

より容易に平静でいられるために知恵を使う最もパワフルな方法の1つは、平静さを欠いたときにマインドフルでいることです。バランスを失わせるものごとに対しての自分の正直な感覚を認めることは、いかにバランスを見出だすかを学ぶ助けとなります。

6つ目のサポートは洞察、ものごとのありのままの本質を鋭く見抜くことです。洞察において最も重要なものの1つは、無常観です。この洞察を極めると、私たちは、ものごとはすごい速さで変化するので私たちがずっと保ち続けられるものは何もないことを理解し、最終的に執着を手放すことができるようになります。手放す感覚は平静さをもたらします。思い切って手放せば手放すほど、深く平静さを得ることができるのです。

最後のサポートは、私たちができごとに過敏に反応するくせを手放すことで得られる、自由の感覚です。私たちは、以前自分の心が反応したものごとに今の自分がもう反応しないことに気づいたとき、この感覚の意味するところを理解することができます。例えば、10代のころに私たちをひどく混乱させたことがらが、大人になった今ではもう心に何の反応も引き起こさないことがあります。仏教の実践では、人生の中で心が自由でいる領域を広げるためにさまざまなことを行います。


1つは観察力、もう1つは心のバランスがもたらすこれら2つの平静さのかたちは、マインドフルネスの実践で一体となります。マインドフルネスの感覚が強まるにつれ、平静さの感覚も確かなものとなります。私たちは大いなる自立と自由の感覚を持ってものごとを見るようになるでしょう。そして同時に、平静さはものごとの渦中にいてもバランスを保ち続けられる内面の強さとなっていくはずです。
<おわり>

2015年12月11日金曜日

心の平静さ(前半)

この記事はEquanimity (adapted from a talk by Gil Fronsdal,May 29th 2004)の前半を訳したものです。ご自身の瞑想やマインドフルネス活動の参考にしてください。



平静さは仏教の実践の中で最も素晴らしい感情の一つです。平静さは知恵と自由に根ざし、慈愛と愛の感覚を守るものです。この状態をドライな中立性や冷たくよそよそしい態度と捉える人もいるかもしれませんが、成熟した平静は存在の輝きとあたたかみを産み出します。ブッダは平静さに満ちた心のことを「敵意や憎悪のない、豊かで、高揚し、無限の」状態と説明しています。

英語の「equanimity(平静さ)」はブッダが用いたパーリ語の異なる2つの単語を訳したものです。それぞれ平静さの異なる要素を表します。
equanimityと訳される最も一般的なパーリ語はupekkha(ウペッカー、仏教用語では「捨」)で、意味は「見渡すこと」です。これは、平静さが観察力、自分の見ているものに囚われずに見ることのできる能力から生まれることを表しています。その力は、十分に発達したときに大いなる平穏をもたらします。

upekkhaは広い視点を持つことで生まれる平らかさも表しています。インドでは、口語表現において「忍耐力をもって見ること」という意味でこの言葉が使われます。私たちはこれを「ものごとの本質を理解しながら見ること」と理解してもよいでしょう。例えば、私たちが誰かの言葉を攻撃的なものとして曲解せず受けとめることを知っていたら、言われたことに過度に反応することが少なくなるでしょう。その代わりに、私たちは安心感と心の落ち着きを保つことができます。この平静な状態はしばしば祖母的な愛情と比較されます。祖母が孫を愛していることは明確ですが、彼女は自身の子どもとの経験に感謝の気持ちを抱き、孫の人生ドラマに親よりも囚われずにいることができます。

2番目によくequanimityと訳されるパーリ語はtatramajjhattata(仏教用語で「中捨」)で、これはいくつかのパーリ語の単語の組み合わせでできている言葉です。tatraは「そこ」という意味で、しばしば「すべてのものごと」を表します。majjhaは「中間」を表し、tataは「立つ、あるいは止まる」ことを表します。まとめると、「ものごとの中間に立つ」という意味の言葉になります。平静さのかたちとして、「中間にいる」ことは、平衡を保ち、何が起こってもものごとの中間に位置しつづけることを表します。この平衡感覚は内側の強さや安定感から来るものです。内面の穏やかさ、健やかさ、自信、生命力、あるいは全一なる感覚の強固な存在感は、強風の中でも船をまっすぐに保つバラストのように、私たちをまっすぐに保ってくれます。内面的な強さを育めば、平静さは後からついてくるのです。

平静さは「俗世の8つの風」、賞賛と非難、成功と失敗、喜びと苦痛、名声と悪評からの防護の役割を果たします。成功や賞賛、名声や喜びに執着したり、過度に高揚したりすることは、人生において方向転換の風が吹くときに悩みを呼び込む元となります。例えば成功は素晴らしいものですが、それが傲慢さにつながったとしたら、私たちは未来でのチャレンジで失敗する可能性が高くなるでしょう。

賞賛を得るのに没頭することは虚栄心につながる可能性があります。自分が何かにつけ失敗と感じていると、私たちは自分のことを無能で無力だと感じるようになるでしょう。また、苦痛に反応してばかりいると、私たちはどんどんやる気を失ってしまいます。もし私たちが、自分たちの内面の健やかさはこれらの8つの風から独立したものだと理解し、あるいは感じていたら、風の最中にいても自分の中心をより保っていられるでしょう。

平静さを養う一つの方法は、平静をサポートする心の質を育むことです。後述する7つの心の質が平静さを養うのに役に立ちます。

1つ目は美徳、あるいは全一なる感覚です。私たちが全一なる感覚とともに生き、ふるまうとき、私たちは自分の言動に確信を持つことができ、それは結果として批判のない平静さをもたらします。いにしえの仏教の経典は、いかなる集団の中にいても批判のない感覚を持つことができることを説いています。

平静さの2つ目のサポートとなるものは信念から来る確信の感覚です。いかなる種類の信念も平静さをもたらしますが、知恵に根ざした信念はとりわけパワフルなものです。パーリ語では信念のことをsaddha(仏教用語では「信」)と言い、やはり確信や自信と訳されます。私たちが確信を持っていたとしたら、例えばスピリチュアルな実践に関わる能力に確信を持っていたら、もっとチャレンジに平静さを持って臨むことができるでしょう。

後半に続く>

2015年11月27日金曜日

マインドフルな従業員は顧客をより幸せにするか?

 ※ この記事は、WEBメディア“Mindful”内の記事“Can Mindful Employees Make Happier Customers?”を和訳したものです。ご自身の瞑想やマインドフルネス活動の参考にしてください。


近年の研究では、顧客満足度は従業員が「今ここ」に集中できているときに上昇するということがわかっています。



現在、アドビシステムズからフォード、ターゲット(全米5位の小売チェーン)やグーグルに至るまで、さまざまな企業が従業員にマインドフルネスに関するプログラムを提供しています。もちろん、すべての企業が実際にそこまでの資金と時間を投入する準備ができているわけではありません。そういった取り組みを行う組織をヒッピーや宗教の集団のように見ている企業もあるでしょう。しかし近年行われたある研究は、経営者に瞑想を取り入れるのにうってつけの動機をもたらすでしょう。カナダのある研究者が、コールセンターの従業員が簡単なマインドフルネスプログラムに参加したところ、彼らのクライアント企業の満足度が増したことを発見したのです。

研究の概要はこうです。カナダのとあるコールセンターで、フルタイム勤務のスタッフ43名に、5週間にわたって勤務日には毎日、勤務前の10分、そしてお昼休み後の5分、各自の席についた状態で誘導瞑想を聞かせました。マインドフルネス・ストレス低減法のような、8週間に及ぶ教室での講義と11時間近くの瞑想の練習を必要とする典型的なマインドフルネスプログラムと比べ、この方法は非常に短く取り入れやすいものです。

この研究での瞑想は、身体の状態を観察したり、シンプルに座って呼吸をしたりするような内容で、従業員たちには彼らの机に置く用の小さな「Do not disturb(邪魔しないで)」のプレートも配布されました。彼らは基本的なマインドフルネスの考え方や、思考や感情、身体感覚における「今ここ」の意識を学ぶところから始めました。彼らは、仕事中の不安や心配などが起こす感情の動揺に直面したときでも、穏やかさや受容の感覚を保つように教えられました。また、従業員たちは、研究プログラムの実施期間中に1度、1時間、彼らが日々聞いていた誘導瞑想の声の主である仏教の尼僧との研修に参加しました。

多くの先行研究と同じく、プログラムを通して従業員たちはよりマインドフルになっていき、そして悩みを感じなくなっていきました。彼らのストレスや不安、失望、ネガティブな感情、そして疲れは全て軽減されました。これらの変化はリンクしていました。つまりマインドフルネスな状態が増した人ほど、悩みが軽減されていたのです。特に、よりマインドフルネスでない状態でプログラムを開始した従業員においてこの変化は顕著でした。

研究の一環として、研究者は、コールセンターの従業員と定期的に電話でやりとりを行うクライアント企業側に、サービス満足度に関するサーベイを記入するよう依頼をしていました。5週間後、満足度はわずかにーでも企業が実感するには十分なほどー上昇しました。

「コールセンターに対するクライアント企業の満足度は長年の間停滞しており、満足度を上げようとする数々の試みは成功することなく終わりました。マネージャーたちにとって、クライアント企業の満足度における変化は非常に重要で、意義深く、有益なものなのです。」と研究者たちは述べています。

なぜマインドフルな状態にある従業員はより顧客を満足させることができるのでしょうか?コールセンターでの仕事のつらい一面は不機嫌で不満を持った顧客と長時間接することであり、そんな状態の中で友好的に明るくあり続けるのは言うまでもなく、穏やかで辛抱強くあり続けることも難しいものです。マインドフルな状態にあるスタッフは、自身の内側の反応により敏感になり、顧客により慎重に対応することが可能となり、より優れたサービスを提供できるというのは理にかなった話です。

この研究は、マインドフルネスプログラムと顧客満足を関連づけた初めてのもので、いかにマインドフルネスが生産性に影響するかについて積み重ねられつつある一連の知見につながるものです。研究者たちはすでに、いくつかのタイプの瞑想が記憶力をよくし、集中力を高め、非生産的なマルチタスクを軽減させるのと同様に、創造性をも促進させることを発見しています。また、瞑想の練習により意思決定能力も向上させることができ、マインドフルな営業職のスタッフたちは、顧客たちからより知識が豊富だと評価されるという研究結果もあります。エトナという、従業員向けに瞑想のクラスを提供している別の企業では、瞑想のクラスに参加している従業員は、それによって1週間あたり1時間分の生産性を得ているのではないかと推測しています。

これらの研究結果は、一部の企業幹部にとっては、彼らが持つマインドフルネスに対してのある種の遠慮を克服する助けになるでしょう。そして、研究に引用されているとある企業の人事部門のリーダーによると「マネージャーの多くは、従業員を一部屋に集め、クッションの上で蓮華座を組んで瞑想させ、それによって従業員をリラックスさせるというアイディアにいまだになじめていません。」

でも、蓮華座を組んで瞑想することが、最終的な収益にダイレクトに関係する顧客満足を飛躍的に向上させるとしたらどうでしょう?そして、瞑想にかかる時間が1日たったの15分だとしたら?…そろそろ従業員用の瞑想のためのクッションを発注するときかもしれませんよ。
<おわり>



2015年11月14日土曜日

瞑想に関する説法をやめよう(伝道者も、そして懐疑論者も)

 ※ この記事は、WEBメディア“Mindful”内の記事“Meditation’s Evangelists—and its Skeptics—Need to Lay Off the Preaching”を和訳したものです。ご自身の瞑想やマインドフルネス活動の参考にしてください。

瞑想に関して人に教えを説くことに大した価値はありません。同じ理由で、反瞑想に関して人に教えを説くことにも大した価値はないのです。



10月9日のニューヨークタイムズの論説ページにて、アダム・グラント氏(ウォートン大学の若き前途有望な経営学教授)は、彼に瞑想すべきだと断定的に主張する人たちに対し、憤然と抗議しています。私はこの点に関して彼に賛辞を送りたいと思います。この世に「~すべき」主義よりも迷惑なものはほとんど存在しないでしょうし、様々な問題に対し画一的な解決策を押しつけるのは狭量で狂信的なやり方です。

そして我々が以前から指摘しているように、瞑想について聖人ぶった態度で語るのは人に無視されるための最も確実な方法です。誰かから思考の取り扱い方についての話を聞かされたときに、その主張に対して懐疑的な考え方をするのは健全なことです。グラント教授は押し売りにあったときの自然な、そして知的な反応をしていると言えるでしょう。

おそらく、彼の「瞑想狂」を止めろという抗議は、ある種のシグナルなのです。それは、瞑想を支持している人間にとって、今は誰かに対して瞑想をするよう鼓舞したり、瞑想について長々と教えを説いたりする段階は終わり、瞑想の有効性に関する客観的な証拠を探す作業を地道に続けながら、瞑想を受け入れる準備のできた人たちに向けて瞑想は有益であるということをシンプルに伝える段階に来たということです。レッスン完了、話はこれで終わりです。

ただ、グラント教授は、彼の論説の中で、彼の持論を主張し始めます。彼は、瞑想によって得られるメリットは他の方法でも得ることが可能であるという持論を展開し、これに確たる自信を持っているようです。マインドフルネス、アウェアネス、優しさ、慈愛…これらは人間として存在する我々に深く根差した特質です。それらの美質は、育むことも可能です。瞑想は、これらの美質を養うにあたり、非常に有効な方法ということは様々な人に広く経験されています。もちろん他の方法もあります。そこに議論の余地はありません。

しかし、グラント教授の意見は迷走し始めます。グラント教授は、瞑想の効果がいまだ揺籃期にあり、「特定の疾患の治療や健康増進の分野におけるマインドフルネスをベースとした介入の有効性」がまだ決定的に証明されてはいないことを認める科学者たちの意見を引用しています。でもグラント教授は、その科学者たちは、身体と心についての実践がもたらす効果に関する研究に人生を捧げたまさにパイオニアであることへの言及を怠っています。彼らは、我々が願う研究者像そのままに、長い期間にわたって注意深く、慎重に、瞑想に関して探求し続けています。そしてどういうわけか、彼ら科学者は、グランド教授が引用した、有効性が証明されている非瞑想的なアプローチ、例えば考え方を変えるといった方法よりも、彼らの研究している瞑想分野における証明の基準を高く設定しているようなのです。

何よりも、グラント教授は基本的なミスをしています:何かについてまだ証明されていないということは、その何かが反証されたということを意味するわけではないのです。

長い時間をかけて心を変化させる方法の有効性は、非常に証明しにくいものです。結局のところ、私たちは心について話しているのです。心はものさしで測りにくいものです。瞑想について人に教えを説くことに大した価値はありません。同じ理由で、反瞑想について人に教えを説くことにも大した価値はないのです。

もし、グラント教授が賛同するぐらいに瞑想が有効に働く場合、瞑想を提唱し、日々増加する瞑想を始めようとする人々に精神的なサポートを提供するにあたって、何に留意すればよいでしょうか?

応援の押し売りにはうんざりするものです。人が何かに足を踏み入れ、トライしようとするとき、最も説得力のある証拠は誰かの個人的な経験からもたらされます。そして、何かをやってみようと思うきっかけは、単純に人の「いいらしいよ」というちょっとした提案だったりするものです。

心と身体の健康において瞑想が重要な要素であると提唱する人々にとっては、新しいフィールドが開くまでは、科学の歩みが数十年にわたるゆっくりしたものであることを理解しながら、瞑想の有効性に関する進行中の多くの研究が示す証拠を引用することがますます重要になっていくでしょう。

でも、人々は賢明です。彼らは自分で結論にたどり着けるでしょう。
<おわり>

2015年10月24日土曜日

仕事での気分の落ち込みから立ち直る方法

 ※ この記事は、WEBメディア“Mindful”内の記事“How to Rebound From Difficult Emotions at Work”を和訳したものです。ご自身の瞑想やマインドフルネス活動の参考にしてください。



この記事では、職場で味わう落胆や失望感からいかによりよいかたちで気持ちを切り替えるかを紹介します。

私たちは皆、仕事での憂鬱感を味わったことがあるでしょう。例えば、昇進できなかった、顧客あるいは同僚との口論、社内政治で殺伐とした職場、職場のリーダーが、事実かどうかは別にして、同僚の不満の発生源はあなただと考える、などなど。悲嘆(grief)の原因に関わらず、これらの私たちの気をそらせるできごとは、あらゆるレベルで私たちの仕事のパフォーマンスに影響を与えます。あなたは、あなたのチームメンバーが感情的なわだかまりを克服するようどのように手助けすることができますか?

私は、高いパフォーマンスを上げるリーダーシップについて研究している国際経営開発研究所の教授であるGeorge Kohlrieser氏とこのことについて話をしました。議論の中で、彼は困難な感情から立ち直るいくつかの方法を提示しました。
「仕事において仲間意識は重要です。そして覚えておいてほしいのが、仲間意識を持つために必ずしも相手のことを好きになる必要はなく、ただ共通のゴールが必要なだけであるということです。しかし、人間関係にフラストレーションや失望感があるときには、分離や亀裂が生じるでしょう。それらの軋轢が起こったときには、その関係から部分的に、あるいは全面的に外れてみてください。この作業はあなたが悲嘆のプロセスに心を開くことを可能にします。

リーダー達にとっては、彼ら自身、また他の人たちの悲嘆のプロセスがどのように進行するのかを理解することが役に立つでしょう。人々はあらゆることで落胆しうるのです:査定でネガティブなことを言われた、契約がうまくいかなかった、人事異動、転勤などなど。私たちは皆、立ち直る前にこれらの感情を処理していく必要があります。

行動経済学では、ノーベル経済学賞受賞者によって以下のことが実証されています。多くの人々にとって、実は利益よりも損失の方がより強力にやる気を起こさせるということです。素早く何か困難を乗り越えたいときには、後悔や喪失感、フラストレーションにフォーカスするのではなく、関係を修復したあと、あるいは立ち直ったあとにどのようなことが起こるかを考えるために心の目を用いるようにしてください。

高いパフォーマンスを上げるリーダーシップのための秘訣は、チーム内に結びつきと団結力が強い状態を作るために、自らが困難なことから素早く立ち直り、そして周囲の人間が困難から素早く立ち直ることができるよう手助けをすることです。困難から望ましい状態に再び到達するために悲嘆について理解することは極めて重要ですが、リーダー達は悲嘆に十分な注意を払っているとは言えません。組織は失望感やフラストレーション、そして嫉妬を拒絶するからです。

悲嘆は一連の段階で進行します。順序は必ずしもこの通りというわけではありませんが、否定から、抗議そして怒り、悲しみそして喪失感、そして恐れへと向かう流れがあります。これらは悲嘆の感情的な部分です。あなたが、人々が怒り、動揺し、落ち込み、あるいは恐怖で満たされているのに気づいたとき、彼らは悲嘆の段階のどこかにいるのです。それは何でしょう?もしかしたら悲嘆の元は、ハラスメントのように非常に深刻なものとして誇張された、実はささいなできごとかもしれません。その後、受容の段階を経て、さらに合理化や新しい関係性の構築を経て、最終的に許しと感謝の気持ちへと移行します。

許しは、私たちが優れたリーダーシップの資質の一つとしてあまり頻繁に話すことのない要素ですが、それは困難を乗り越えるときの別の方法なのです。よくリーダーがこう言います、「あなたの考えていることを話してください」。でももしあなたが本当のことを言ったら、彼は絶対にあなたのことを許さないでしょう。彼はあなたを責めるかもしれません。あるいは別の可能性として、彼はあなたの犯したミスという困難を乗り越えることができず、職場に復帰できないかもしれません。

感情的知性には共感性が含まれます。でも私たちは、自身の悲嘆のプロセスを経なければ、共感性を得ることはできないのです。思いやりの気持ちを持つ能力は、しばしば見過ごされるものです。どのような類のものであれ、あなたが抱えている心の痛みのプロセスをしっかり見届けてから次へ進んでください。」
<おわり>


2015年10月10日土曜日

忍耐の限界がきたとき、あなたがすべきこと

 ※ この記事は、WEBメディア“Mindful”内の記事“What to Do When You’re Running Out of Patience”を和訳したものです。ご自身の瞑想やマインドフルネス活動の参考にしてください。


14世紀に「農夫ピアズの夢」(ウィリアム・ラングランドの長編寓話詩)が発行されてから今に至るまで、私たちは幼少期から「忍耐は美徳である」と刷り込まれてきました。忍耐に関して衝撃的なのは、私たちにとって改めて忍耐の重要性について説明される必要が全くないほど、忍耐が美徳であるということが当たり前になっているということです。特に現代の西洋社会においては、生活において忍耐が大きな割合を占めることを私たちは確信せざるを得ません。

ただ、忍耐はそうあると望ましいとされるポジティブな性質の中で、多少は周囲からの評判をよくする性質ではありますが、消費主義と金融主義が出会った西洋社会で「成功する」には必須の条件ではありません。忍耐は素晴らしいものですが、それよりもホームランをかっとばし、契約を結び、ポイントを取れるような、他の性質の方が好まれます。ライバルを出し抜き、世間に遅れを取らないよう尻を叩かれるこのご時世において、忍耐は他に遅れを取ることであり、最悪の場合死さえも意味するのです。忍耐はあからさまなものではありません。また、人を前面に押し出すものでもありません。(世界的な有名なコーチングの第一人者である)アンソニー・ロビンス氏のような人の視点から見ると、一言で言うと忍耐は「弱く」感じられるのです。

ウェブスター社の辞書では、忍耐を「長時間待っているとき、あるいは問題や難しい人々に対処するときに落ち着いて、イライラせずにいられること」と定義しています。この定義には、忍耐に関する十分なニュアンスが含まれていません。「落ち着いて」は素晴らしいことですが(私はアップルストアに新製品を求めて殺到する人たちにこの言葉を叫んでいた誰かさんのことを思い浮かべています)、「問題」や「難しい人々」に直面したときに「イライラせずにいる」にはどのような内的感覚でいるのか、そしてどのようにそれを行うのかについては説明が十分とは言えません。

マインドフルネスのスキルを高めるということは、いかに忍耐心を育むかということなのです。私自身の実践と、また臨床医としての経験から言えるのは、忍耐心を構築するためには3つのマインドフルの要素があるということです。
1.今ここで実際に起こっていることを受容する心を育む
2.すべては変化するという厳然たる事実をはっきりさせる
3.自分は分離している、自分だけ離れ小島にいるというような観念にはまり込まない

忍耐心は派手ではありませんが、幸せでいるためには非常に重要です。そして、ダライ・ラマのような聖人だけができることというわけでもないのです。忍耐は現代の心理学と脳科学がサポートできるものであり、あなたが次のものごとを待っている間にできるものです。

私たちが家や他の場所で人に不満や怒りを爆発させたり、愛する人を心の中から締め出したりするのは、私たちが、マインドフルネスの実践が教える3つの要素とかい離していることにより起こります。焦りは私たちの最良の、そして愛に満ちた意図を失わせます。これは自分の身近な人といるときに特にそうなるようです。

ここで、忍耐を消極的な視点でとらえるのをやめ、あなたの日常生活に積極的に組み込んでいく重要なスキルとして活用するための提案をします。


あなたの「忍耐筋」を鍛えるために、以下のワークをやってみてください。

1.以下のように自分自身へ問いかけてください:
あなたは他の人へ怒りを感じていていい気分ですか?他の人への怒りは、ものごとをよりやりやすく、管理しやすくしていますか?怒りは思考を促進していますか、それとも遮断していますか?あなたはどのように怒りを悪化させ、自分と他人へネガティブな影響を及ぼしていますか?あなたが怒り、焦ることで何が犠牲となっていますか?

2.あるいはこのように自分自身へ問いかけてください:
あなたはどのようにしてこの「罪人」から学びますか?意図していないにせよ、どのようにして彼らはあなたに忍耐の境界線とエッジについて教えていますか?あなたは、彼らがあなたに与えた痛みを好きになる必要はありません。でも、さらなる幸せのために、あなたの忍耐力とキャパシティを広げる可能性があるこの機会を得たことを喜んでみませんか?

3.他者に反応したくなる衝動を切り抜けるための目標を設定してください。あなた自身が忍耐を実践することに責任を持ってください。

4.奥の手を使う:
あなたが疲れていてエネルギーが枯渇しているときには、戦いへの衝動に対抗する必要のあるところに身を置かないよう心がけてください。忍耐心が無くなっていると感じたとき(例えば、小さな子どものいる家庭の就寝前など)には、そのときのルーティンをこなすことだけを考えましょう。

<おわり>


2015年10月3日土曜日

ブッダの教えとマインドフルネス④ 「自然の法則」の観察

 前回までにマインドフルネスを高めるために、「身体」「感覚」「心」を観察することについて書きました。今回のテーマはブッダが気づきを高めるために教えた四つのポイントとしては最後にあたる、「自然の法則」についてです。
 マインドフルネスが高まり、今ここにいることができるようになってくると、心そのものの動きがよく見えるようになってきます。PCのメモリが増量されたようなもので、自分の心が日々の刺激の中でどのように動いているか、ということに意識が高くなります。呼吸を観察したり、身体を観察することでその日のコンディションにも気づくようになるし、感覚が研ぎすまされてくるので食事をより深く味わったり、心地よい体験をより深く受け取ることも可能になってきます。前回のテーマであった心の観察としては、自分の心がどのように反応するのか、どんな思考のパターンがあるのか、どんな感情が生じてくるのかにも気づけるようになります。気づきが高まれば、緊張を緩めるように深呼吸をしたり、自分を責める無意味な観念は手放そうと決めたりすることもできるでしょう。。



 さて、私たちの心も身体も、それが従っているのには自然の法則があると考えることができます。仏教では、ダンマとか法、ダルマなどと呼ばれてきたものです。
 私なりにこの二つの言葉の意味を解釈すると、二つの大事な視点があります。それは、「無常」と「縁」です。日本人や日本文化において、無常というのは古来より通底しているテーマみたいなものですが、これがマインドフルネスにおいても根幹の考え方となります。
 「無常」とは、四季折々が変化しているように、この世の、世界の実相は全て変化しているというリアリティにあるということです。この身体もマインドフルネスで観察してきたように変化しています。血液は1週間で入れかわり、骨すら7年で新しくなるといいます。心の面では、私たちがしがみつくエゴ(自我)がありますが、実態のないエゴに私たちがしがみついているとも言えるのです。変化を受け入れることでより大きな流れに委ねたり、新しくなったり、本来的な自己に繋がることになります。うつやメンタルの悩み、職場や家庭での人間関係の悩みなど、これまで作ってきた私たち自身のエゴが試されているとも言えます。しがみつくほどに、苦しさは増し、自然の法則はその自分を手放しなさいと教えてくれているのかもしれません。
 マインドフルネス瞑想においては、身体が変化していることを自覚したり、感覚を捉えてその変化を見届けたり、心を捉えて思考や感情が消えていくのを目覚めて確認することが大切です。その都度、「変化している」というリアルを実感することが大切です。こうしたあたり前のような変化を、何度も自覚し、見抜くことで自然の法則がやがては自分の前に現れてきます。変化をより実感できるようになると、葛藤も少なくなってくるでしょうし、「苦しみ」というのも明らかになってくるでしょうし、仏教的な意味での「智恵」が自然と湧きあがってくるといいます。

 もう一つの自然の法則は、「縁」ということになります。無常を受け入れ始めると、全てが繋がりの中にしか生じ得ないということが体感として自覚されてきます。母親、両親、先祖といった人々との繋がりがなければ誰一人として生きていられるわけはありません。今ここでも、何らかの形で誰かに、何かに、国に、空気や水に、自然に・・・あらゆるものの繋がりの中に自分の命が生起しているというのが仏教的なリアリティです。「縁」を実感する程に、自分という存在に必要以上にしがみつく必要もなくなれば、智恵が湧き、慈悲の心が自然と湧いてくるでしょう。私たちが個人としても、全体としても自然の法則に沿っていく形に成長すると、コミュニティが再生するのではないかと思っています。

2015年9月25日金曜日

映画「インサイドヘッド」が教えてくれる、感情に関する5つのこと(後半)

 ※ この記事は、WEBメディア“Mindful”内の記事Five Things Pixar’s “Inside Out” Teaches Us About Emotionsの後半を和訳したものです。(前半はこちら)ご自身の瞑想やマインドフルネス活動の参考にしてください。




3.私たちの現実と記憶は感情というフィルターにかけられている
私たちが今起こっている現実を過去の経験という枠組みを通して見るように、私たちが振り返る記憶は、私たちの今の経験によって彩色されています。
ライリーのケースだと、彼女は映画の中で数回、自分たちのチームがチャンピオンとなったホッケーの試合のことを思い出します。ある時点で、彼女は自分の打ったウィニングショットを懐かしみ、試合について悲しい気持ちで思い出します。別の時点でも、彼女は全く同じ瞬間のことを思い出します。でもそのときには、どれだけ彼女がチームに貢献したかを示すために、彼女を肩に担ぎあげたチームメイトに賞賛されながら笑っているところを思い出します。

同じ記憶が、悲しみのレンズを通すか喜びのレンズを通すかで全く違ったものになるのです。これはとてもパワフルな考え方です。私たちが本当に覚えておかなければならないことは、私たちの記憶は私たちの個人的な物語の一部なのであり、私たちは記憶を、いくつものやり方で自分の信じる物語として構築するということです。自分自身で物語を作り上げているのだから、いつでも自分でその物語を変えることができるのです。

記憶から、ネガティブな事実や困難なできごとを含む特定の部分だけを削除することはできません。記憶は常にそこにあります。それでいいのです。研究は、私たちが実際にした体験よりも、私たちがそれらの体験について、どのような物語にして自分自身に語るかということの方が、さらにインパクトがあることを示唆しています。

4.感情について語るための言葉を持つことは力になる
この映画でもっとも出色すべき点は、これが感情にフォーカスする映画として存在しているところかもしれません。科学的な整合性がある程度以上存在していることよりも大切なことは、この映画の提示する感情の概念が、私たちが自分の子どもと行う対話に影響を与えるだろうということです。

もし子どもたちが、早い段階で自分の感情を感じる方法を、そして全ての感情を感じることがとても重要だということを学ぶことができれば、私たちはよりうまく適応できている思春期の子どもや成人を見ることができるかもしれません。

実際、アニメーションであることはさておき、この映画のターゲットとなる観客は全ての人類です。何故って?さまざまな経験を通し自分の中に起こった感情に対して語る言葉を持つということは、経験から学ぶ力を与えることであり、最大限の思いやりを持ってそれらの感情に反応し、より少ないジャッジメントでそれらの感情にアプローチすることだからです。

5.自分の感情を感じることは普遍的な人間の営みである
ピクサー社は、ポール・エックマン博士の研究から生まれた、科学的に分類された5つの普遍的な感情がそれぞれ用いられたときに何が起こるかをよく知っています(6つ目の普遍的な感情は驚きです)。

エックマン博士は研究を通し、特定の感情は文化を越え世界中で共通の顔の表情により表現されることを示しました。そして、この映画は私たちの実際の違いを越えて、私たちがいかに本質的に人間として似通っているかを思い出させてくれます。これは非常に強力な考え方です。特に肌の色やジェンダー(社会的性差)、性のアイデンティティにから起こる差別を考えるときに有用です。

1日の終わりに、あなたが誰であるかに関わらず、あなたたちは同じ感情の幅とキャパシティを持ってその日のできごとを経験します。つまり、私たちが皆ただ自分自身のハードな人生を戦っているだけということに気づくことができたら、私たちはこの世界を今よりもっと多くの慈悲心と、より少ないジャッジメントを持って経験することができるかもしれません。


筆者:Jennifer Wolkin
ニューヨークを拠点とする臨床健康と神経心理学者。教授であると同時に、執筆や講演活動を行う。近年BrainCurves(ブレインカーブス)を設立し、女性の心身と脳の健康のための正確でアクセスしやすいアイディアを提供する活動を行っている。

<おわり>


2015年9月18日金曜日

映画「インサイドヘッド」が教えてくれる、感情に関する5つのこと(前半)


※ この記事は、WEBメディア“Mindful”内の記事Five Things Pixar’s “Inside Out” Teaches Us About Emotionsの前半を和訳したものです。ご自身の瞑想やマインドフルネス活動の参考にしてください。




このアニメーションは、全ての人(老若男女)に対し、感情の複雑な動きについて説明するのに非常に適しています。

「インサイドヘッド(原題Inside Out)」は、ライリーという名前の、家族で遠方に引っ越しをしたばかりの11歳の少女の生活を中心に描かれます。非常に感じやすい年齢の子どもにおいて、引っ越しは大きな変化です。彼女は、引っ越す前の彼女の家、友達、ホッケーチームに対する強い感情のゆらぎを経験します。
物語のメインキャラクターは、ライリーの感情であるヨロコビ、カナシミ、イカリ、ビビリ、ムカムカです。彼らはライリーがこの人生を変える経験を歩んでいく過程で、彼女の心の働きを見せる役目をしています。

この物語が始まった瞬間から、私は自分の興奮を抑えることができませんでした。私の中のアニメオタク的な視点は吹き飛ばされました。映画の発するいくつものメッセージが神経科学の観点から見ても現実に即したものだったからです。例えば、その日に体験したことの短期的な記憶は、睡眠中に記憶に統合するところなどです。この映画は、ストーリーテリングのためにいくつかの科学的な整合性を諦めてはいます。でも、映画の詩的な側面が、私たちは本質的に生活の様々なポイントで現れる様々な性格特徴によって成り立っているという現実から乖離することもありませんでした。

「インサイドヘッド」が心の入り組んだ仕組みを越えてとてもうまくやってのけたことがあります。それは、私たちはどうすれば人生を前に進められるようなやり方で自分の感情と記憶を理解し、接続し、受け入れることができるかというメッセージを力強く伝えることです。

この映画は、感情の重要性について5つの側面から教えてくれています。

1.すべての感情は目的があって存在している
感情は本質的にはいいものでもわるいものでもありません。そのような二元論で感情について考えることは、あなたに害をもたらすでしょう。すべての感情は、私たちの外側の経験を通して得た私たちの内なる経験について、何かを伝えるものです。

ルミというスーフィーの昔の詩人は、「ゲストハウス」という詩の中で、我々はいかに全ての感情を、それらのメッセージや目的を理解しようとするのではなく、それらのいずれかを取り除くこともなく、全てをただ自分の中に訪れたものとして扱うべきかを主張しています。

ルミが詩の中で言及したことは、近年の研究でも確認されています。それは、幸福は実際には幅広い感情を持つことによってこそ成り立つということです。あなたがすべての感情をよりしっかりと感じるほど、あなたはより幸せになるのです。

2.感情を持つことはコンパスを持つこと
物語の中で、ヨロコビは常にカナシミをライリーから遠ざけようとします。ライリーは様々な感情を感じているのですが、ライリーの母親が彼女に常にハッピーでいるよう要求していることもあり、悲しみを感じることができないでいます。結果、そのことが彼女を寒々しく麻痺した存在にしてしまっています。この状態は、貧しい判断と不健全な選択のみを作り出します。ライリーは、ものごとをよりクリアに見ることができ、サポートを受けるために自分から手を伸ばすことができるようになるまで悲しみを感じることができませんでした。感情を自覚し理解することは、それらを無視するよりもはるかに健康的で、生産的で、環境適応的な行動です。

後半に続く>


訳:北里史絵

2015年9月12日土曜日

「仕事とマインドフルネス 〜 経営者は、どう瞑想をビジネスに活かしているか 〜」第2回

マインドフルネスを取り入れているビジネスリーダー達は、どのように瞑想など日々の実践を行っているのでしょうか。また実践により起こった変化は?「いま、ここ。」の運営者である小島美佳がビジネスリーダーにインタビューします。

2回は、インターネット企業で執行役員をされているAさんにお話をお聞きしました。

瞑想を始めたきっかけと、最初に経験した瞑想

小島:はじめに、瞑想を始めたきっかけを教えてください。
A:知人に半分だまされて、23日の断食瞑想リトリートに参加したことがきっかけです。
小島:(笑)それ、いきなり連れて行かれたんですか?
A:いきなりではなく、一応「いいですよ」と勧められたのと、当時その知人とフリーランスで仕事を一緒にやっていて、組織開発をテーマにやっていく上ではこういうのも必要なんじゃないか、みたいな話になって。時期があんまり定かじゃないけど、たぶん6年ぐらい前じゃないかな。
小島:あの、セアロ[1]の?
A:そうです。セアロをメンターにしたリトリートで、山梨に身延山久遠寺っていう日蓮宗の総本山があるんですけど、そこの近くの宿坊でやったんですよ。
小島:わお(笑)すごい。そこではどんなことをやったって思いだせます?
A:セアロのリトリートっていつも同じなんですけど、基本そこで断食をします。あとは日に3回かな、だいたい昼、夜、次の朝、みたいな感じで講話があり、問答があるんですね。
小島:なるほど。
A:で、その後に瞑想をするっていう。そういうセッションのサイクルがあるという感じです。
小島:そのときにやった瞑想ってどういう瞑想ですか。
A:特に指導もなくて、単純に座って目をつぶって、音楽をかけますね。
小島:そうなんだ。
A:音楽をかけてあかりを消して、あとはずっと瞑想すると。
小島:へえ、面白い。何分ぐらい?
A:ええとね、あの音楽、たぶん4050分ぐらいあるんじゃないかな。結構長いと思う。
小島:長いですね。
A:まあそのときのセアロの意向次第っていうのもあって、ちょっとそのとき時間測ったりしてないのでわからないけど、でも30分ぐらいはしているんじゃないかな。
小島:なるほど。どうでした?
A:どっちかっていうと「腹減った」っていうのがそのときは先行していて。
小島:(笑)まあ、断食ですし。
A:ただ、断食とあわせてだったので、瞑想で、ということではないのかもしれないけれども、やっぱり最初の断食明けのお粥を食べたとき、味覚が鋭くなるなあ、というのは体感しましたね。
小島:なるほど。23日って、私の行ったことがあるのもそれぐらい。最近全く行ってないですけどね。
A:うん、近々1日のリトリートがあるみたい、断食ではなくて。だからそれは行こうかな、と思っているけどね、久しぶりに。
小島:ほんとですか。
A:うん。もう34年行ってないから、久しぶりに行ってみようと思っています。
1ガユーナ・セアロ師:ミャンマー上座部仏教の日本人僧侶。全国で心の平和を説くリトリートを行っている。

瞑想で続けていること

小島:そのリトリートに出たあと、何か試してみたこととか、瞑想的なもので実践していたことなどがあれば教えてください。
A:そうですね、セアロがかけた音楽のCDがあって、それを買って家で。家でというより、出張したときが多かったかな。出張先でリトリートのときのように部屋を暗くして音楽をかけて瞑想してみる、というようなことをしばらくしていましたね。で、その後小島さんの誘導瞑想、ああいうのもやってみて。あと、サイトで瞑想サイトがあって、Calm.comって知ってる?
小島:私はiPhoneのアプリでときどき使っていますけど、パソコンのサイトがあるのは知りませんでした。それって英語のですよね?
A:そう、英語。英語って言っても、単に「力を抜きなさい」とかそれぐらいの誘導。で、一応自然っぽい川の流れとか波の音とかが流れて、時間設定もできるという。あれがわりと便利。アプリだと、毎日どれぐらいやったかっていうのもわかるから。
小島:そうですね。
A:なので、一時期集中的にやっていましたね。最近これはさぼっているけど。
小島:私も電車の中でそれ、結構聞いたりしていました。
A:そうそう。でも基本的には出張先のホテルで、というのが僕は多いかな。
小島:Aさんの場合は出張が多いから、というのもあるんでしょうね。
A:まあ家でやるっていうとなかなか。瞑想していると、子どもが面白がって騒いだりして(笑)
小島:(笑)
A:あと子どもが怒られている声とかが聞こえてきたりもするから。あんまり瞑想に向いた環境じゃないんだよね、実は。
小島:(笑)それはそうですね。なるほど。
A:なので僕は、どっちかというと出先でやっています。それと、最近はもう移動のときに寝ているんだか瞑想しているんだかですけど、あまり本とかを無理に読まずに目をつぶって、ちょっと呼吸に意識を集中して。そういうことをするぐらいでも、それで結構瞑想にはなっているのかな、と。
小島:なるほど。
A:あとは、考えてみると僕はわりと1人で酒を飲みに行くんですけど、あれは結構瞑想だよね。
小島:うん、私もそう思う。
A:酒が入っているのがいいかどうかわからないけど、今考えるとそれが必要だからやっているような気がする。システム開発のプロジェクトがあるときでも、11時過ぎにわざわざ家に帰る途中のビール屋に寄ってぼーっとして。カウンターに座って、ぼーっとグラスを眺めるという感じの時間を過ごして。今考えるとそれは瞑想の一種かな、とも思いますね。
小島:そうですね。リラックスしていそうな感じもあるし、脳波を計ったらα波が出ているかも。
A:うん。お店の人と話したりとかそういうことは、僕は毛嫌いしていたので(笑)
小島:「話しかけるな」オーラを漂わせて。
A:「話しかけるな」オーラを満載にして。
小島:(笑)
A:でも、それでも居心地よくいられるところを何軒か見つけ、という感じかな。


1人で飲みに行ってぼんやりするのも
いい瞑想の時間になっているのでは、とA氏


お酒のリラックス効果

小島:いいですね。春に開催されたミンデル博士[2]のワークショップに行ったときに、踊ったりするワークがあって。
A:(笑)
小島:そのときに、誰かが「お酒を飲んでこういうことをやるのはどうですか」というような質問をしたんですよ。宗教の儀式でもお酒を飲んでお祭り的にやったりするというのは結構あるから、そういうことを試すことはどうなのかって聞いていて。でも、ミンデル博士はかなり健康志向な人なんですよね、たぶん。だから「僕はおすすめしない」って。「お酒抜きでできるんだったらお酒抜きでやりましょう」と言っていましたね。
A:(笑)まあ、それは人によりけりじゃないかな。お酒を飲んでも結局身体は休まらないから、と言われますけどね。
小島:へえ。
A:要は、頭が一瞬麻痺しているだけなんで、身体は休まらない。結局内臓は働かないといけないわけじゃないですか。
小島:ええ。
A:だから「本当の意味でのリラックスにはならないよ」って、この間健康診断のお医者さんに言われたんですけど。
小島:そうなんですね(笑)
A:うん、なかなか面白いですよね。だから「どっちかっていうと運動しなさい」って。運動して、あんまり考えない時間ができるじゃないですか。全力で走ったり、とか。
小島:はい。
A:そういうことで体を疲れさせた方が結局はリラックスにつながるよ、ということは言われましたね。
小島:確かに、それはそれで説得力があるかも。
A:そう、「なるほど」と思って、何か運動でもしようかっていうのは…思っているけどね、という。
小島:(笑)とはいえ、お酒でリラックスの時間がちゃんとあるというのは、それはそれで瞑想の一部だな、とは思います、私は。
A:うん。
2アーノルド・ミンデル博士:心理療法の1つであるプロセスワークの第一人者。近年組織開発にプロセスワークの手法が用いられることも増えている

続けていての変化

小島:瞑想を続けていて何か変化はありましたか?
A:うーん、正直よくわからないというか、逆に久しぶりに会った人とかに聞いてみた方がいいのかもしれない。
小島:確かに。
A:前の会社のころは結局心配性だったり短気だったりしたなあ、とは思う。で、今は、そんなに変わらない気もするけど、でも若干は改善されたんじゃないかなという気がしますね。前は「こうなったらどうしよう」というのを結構気にしながらやっていたと思うんだけど、最近は「出たとこ勝負でしかないね」「一応心配はするけどね」って、そのくらいになったかな。
小島:(笑)そこまで気にならない感じになってくるっていうことですかね。
A:何かあったときに「ああ、そうきたか」っていうのはあるかな。前は何かあったときに「うわ、何でこうなっちゃうんだろう」とか、「どうしようかな」とか思っていたところが、今は「どうしようかな」っていうのを考えはするけど、そんなに深刻にならない気はしますね。以前はスケジュールが遅れていた場合にそれをどうやってカバーするかというのをすごく考えたけど、でも、「なるようにしかならないよな」という、そこの感覚は若干出てきたかなと思いますね。
小島:何か、適度なアンニュイ感みたいな感じが勝手に私には伝わってきている感じがしますが(笑)
A:アンニュイ、そうね。そのぐらいじゃないとやっていられないというか、倒れちゃうんだよね、たぶん。いろんなことがあるから(笑)
小島:(笑)ほんと?
A:やっぱりいろんなことがあるんですよ、会社っていうのは。面白いなあ、と思うけど。
小島:(笑)
A:次から次へといろんなことが出てくるんで。まあただ、1人で解決しなくていいんでね。最後は「責任取れ」って言われたら「しょうがないや」って、そこでしかなくて。今ある中でどうしようか、というところを考えてもらう側の立場だから、今は。
小島:確かに。
A:だからいろいろある、「これやってね」って言ってもなかなかやってくれないとか。「これをちゃんと分析したレポートちょうだい」って言ってもなかなか出てこないとか、そういうのは日常茶飯事なので。そこにいちいち怒っていたら身体が持たないよね、というのはある。

「ほう、そうか」と「そうきたか」

小島:確かに。いつだったか、知り合いからあるお坊さんの話を聞いたんです。お坊さんのところにある日突然女性が来て、「これはあなたの子どもだから育ててください」、といきなり子どもを置いて行かれて、そうしたらそのお坊さんは「ほう、そうか」って言ってその子どもを育てた。で、しばらくしたらその女性と本当の旦那様らしき人がいきなりまた押しかけてきて、「自分の子どもを奪ってふざけるな」みたいな感じで詰め寄られて、で、お坊さんは、また「ほう、そうか」と言って子どもを返した、というような。その知り合いは「ほう、そうか」って言えるようになるのをちょっと目指したい、と言っていて、何となくそんな感じだな、とは思います。いちいち反応しないというか。
A:そうだね。確かに、「そうきたか」っていうのがね。
小島:(笑)
A:「ああ、そうきたか」っていう、その感覚を持っていると精神衛生上すごくいい。
小島:なるほど、ちょっと新鮮に思えるようになる、みたいな感じですね。
A:そう。あとは、解決するっていうのは大事なんだけど、放っておくっていうのも大事なんだよね。放っておくと勝手に解決するっていうことがあって、変に介入しない方がいいっていうこともあるから。そこはまだやっぱり介入したくなっちゃう自分がいますけどね。でも、「これどうなるのかな」なんて思っていると、意外なところから意外なことで結局解決、みたいなことがあったりするので。やっぱり時間が解決する、というのはわりと大事な感覚かな、と。
小島:放置力ですね。
A:うん。あと、しばらく会わないとか。
小島:(笑)なるほど。
A:意識的に離れるとか、メールが来ても答えないとか、そういうのってわりとよかったりするよね。
小島:ええ。
A:無理に「自分が解決しなきゃ」と思っちゃうと、かえって問題を複雑にするなあと。他の人に行ってもらうとかね。これは、何なんだろうね。
小島:どこかで全体観が把握できている、いい意味での突き放し力ですよね。あとはそれってやっぱり「早く解決しなきゃ」という不安感から解放されていないと、たぶんできないと思うんです。
A:まあ、どうなのかね。そこまで達観しているかどうかはわからないけどね(笑)偉そうに言っているけど。
小島:でも、例えば「早くやらなきゃ」っていう気持ちが自分に戻ってきたときに、「あ、戻ってきてる」というのがわかるようになったり、というのは絶対あると思うんですよ。
A:ああ、そうだね。だから「あ、焦ってるな」というのは感じられるかもしれない。ただ、やっぱり締切というものにわりと鈍感になった気はする。あえてあまり期日を約束しないというね。
小島:(笑)いいですね。
A:ただ案外不思議なもので、期日を約束しない方がわりと早く片付いたりするんだよね。そこは感覚としてある。「来週までにこれをやります」と言って「さてどうしよう」って考えるより、いつになるか特に何も言わずに置いておくと2日後ぐらいに猛然とやり始めるとか、そういうのあるな、と思って。
小島:へえ。自然のサイクルがうまく活用できるようになるのかな。でもそれは面白いなあ。無意識にだんだん「今、私ここがピークだから」ってコンディションのいいところに持ってこれてたりして。
A:うん。とにかく、期日のコミットを意識的にしないっていうのは結構いいよね。
小島:(笑)なるほど。それは世の中のビジネスマンにはかなりいい示唆になるのではないでしょうか。
A:いや、コンサルの人とか、やっぱりスケジュール引いていつまでにこれやって、というのは当然あると思うんだけど。でも、最終的なアウトプット、最終的に何ができるのがいいのかっていうのを考えると、個々のタスクの期日って実はそんなに重要じゃないですよね。でも、どうしてもそこに向いちゃうじゃない、タスクがあって期日があると。
小島:そうですね。
A:そうすると結局なんだっけ、ってなっちゃう。重要なポイントがよくわかんないままとりあえず資料作りました、的なものも出てきちゃいますよね。今、会社でコンサル的なことをお願いしている人もいるんだけど、そういう人の動き方とか見ると、やっぱりかなり細かいところを気にしているし、アウトプットを作ろうっていうところで相当みんな苦労しているんだなあ、というのがよくわかる。
小島:ああ。
A:そんなに作らなくていいんだけど、逆に僕の欲しいのはこれなんだけど、というのがあるんだよね。
小島:1つそういう型みたいなのができちゃうと、その呪縛からはなかなか解き放たれづらいんでしょうね。
A:そうそう。

移動中は仕事しない方がパフォーマンス向上につながる

小島:今どのくらいの頻度で瞑想しているかお聞きしたいのですが、出張のときと移動のとき、という感じでしょうか。
A:はい。今ほぼ毎週飛行機に乗っていて、出張先と往復という感じの生活なんですよ。だからそういう意味では週2回っていう感じなのかな。あと1人飲みも週1回ぐらいは必ずしているから(笑)
小島:結構定期的にできている感じですね。
A:うん、定期的にできているんじゃないかな。飛行機はもう、座って離陸する前ぐらいに…だからあれを瞑想と言うのか単なる睡眠と言うのかわからないけど。
小島:でも、リラックスの時間ということですよね。
A:そうそう。
小島:どうしても、そういう時間ってメールをチェックするとかいろんなことをやってしまいそうじゃないですか。
A:でも、飛行機は特にだけど、仕事はしない方がいいと思うね。
小島:ええ。
A:メールチェックぐらいはするけど、資料を作るとかそういう時間にするよりは、むしろもう思い切ってリラックスの時間に当てた方がいいと思う。移動中って身体には結構負荷がかかっているはずだから。
小島:そうですよね。
A:うん。だから、たぶん本当は移動中の仕事ってパフォーマンス的にもよくないんじゃないかな。やった気にはなるけど。
小島:(笑)確かに。一応コンセントもあるかもしれないけど、それは使わずゆっくりしましょう、という感じですね。
A:うん、「仕事してるぜ」感が感じられるし、新幹線の中だとそういう人も結構いっぱいいるのかもしれないけど。
小島:いるいる。
A:でも、どっちかっていうと、ゆっくり音楽でも聞いて、本でも読んで、という方が、結局はパフォーマンスが上がるんじゃないかなと思います。

これから瞑想を始める人へのアドバイス

小島:はい。では最後に、これから瞑想を始めようとしている人にアドバイスをお願いします。
A:あまり気張らずに適当にやるのがいいんじゃないかな、と思います。「さあ、瞑想するぞ!」っていう感じにしなくていいんじゃないかな、という。
小島:(笑)リラックスするためにやっているから、「リラックスするぞ!」って頑張るっていうのはちょっと違うと。
A:ねえ。本末転倒になっちゃうんで。通勤電車の中でも、ただ目をつぶって呼吸を意識するとか、聞こえないけど心臓の音を聞こうとするというぐらいで、かなりリラックスというか瞑想状態にはなるんじゃないかなあ、という気はしています。あとは、特に移動が多い人は移動時間がやっぱり。通勤時間もそうだし、出張とかは逆に絶好の瞑想タイム、というふうに思ってリラックスする時間に当てるというのが、仕事してる人にとってはいいんじゃないかなという気がしますね。
小島:なるほど。あと興味があったら断食瞑想に行ってみましょう、ですね。
A:(笑)ただ、瞑想のことも意識しているからかもしれないけれども、今だいぶそういう本が出始めてきているかな、という気がするよね。
小島:そうですね、増えてきたと思います。
A:11月に(アメリカの)バークリーでマインドフルネスのシンポジウムみたいなのが開催される予定で、そこには企業の人たちも結構出るみたいなんだけど、いかに社員の人にリラックスしてパフォーマンスを上げてもらうか、という面で、企業側にも瞑想というアプローチがだいぶ認知されてきているのかな、というふうに見えるよね。
小島:そうですね。注目されてきている気はする。
A:11月のは、ジェレミー・ハンターさん[3]が話をするみたい。
小島:そうですか、1回シドニーでやっているのを見たことがあります。
A:タイミング次第では、US出張のついでに行けるかもしれない、とは思っているんだけどね。
小島:あと、Mindfulness in Organizationsという本が出ましたね。まだきちんと読んでいないのですが、ビジネスの中で、それも組織の中でどうやってマインドフルネスを浸透させていくかというアプリケーションの話がメインなので、ちゃんと読めば絶対面白いと思っています。
 3ジェレミー・ハンター氏:ドラッカースクール准教授。経営者に瞑想を指導している

(おまけ)

A:ただ、日本でも昔からラジオ体操とかあったじゃない。
小島:ああ、確かに。
A:あれね、今考えるとわりといいんだなあ、と思っていて。ラジオ体操を真剣に、自分の身体に意識を集中しながらやると、相当あれ行けると思うよ。
小島:確かに。わかる(笑)
A:あれ、本気でやるとえらく疲れるらしいんだけど、そんなに力入れなくても自分の全身に意識集中してやるといいのかな、と。
小島:結構スッキリしそうですね。
A:あとは「ストレングスファインダー」を書いたトム・ラスさんが最近「EatMove Sleep」という本を出していた。要は「みんな運動しろ」と(笑)
小島:ああ。
A:「体を動かせ」と、エグゼクティブは特に。「仕事しているときに座っているのは死への近道だ」みたいな、そんな感じなんですよ。
小島:(笑)
A:だから、オフィスも椅子をなくすっていうのはわりと面白いかもって思っているんだよね。うちのオフィス、そこまで提案するに至ってないけど。
小島:(笑)
A:でもそういう、立って仕事もできる昇降可能なテーブルとかも今あるらしくて。
小島:へえ。
A:立って会議をする会社っていくつかあるし、そもそも椅子がない会社って面白いかもしれないな、と思って。
小島:(笑)メタボが改善されたりするかも。
A:されるでしょう。たまに座っていいけどね、みたいな感じで。
小島:でも、確かにずっと座っていて、首が曲がった状態でパソコンを眺めている人多いですもんね。
A:そうそう、姿勢はわるくなるし、「いいことない」って言われてみたらそうだよな、という気はするよね。そういう、特別に運動するというより、そもそも歩くとか立って仕事するとかやってみても面白いな、とは思っているんだけど。
小島:確かに、小さいところから。じゃあ、また何か編み出したら教えてください。
A:はい(笑)
<おわり>